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れ き し た び 中近東・イスラム圏のこと |
小学生の頃から「世界四大文明」をはじめとする、歴史に興味があった。それもうーんと古いもの。書物、いや文字さえあるかないかの時代。発掘された遺物から想像される物語をわくわくしながら読んでたっけ。 当時は記憶力もまだあったのと、そういった好奇心も手伝って、歴史好きのまま成長。高校でも迷わず世界史をとった。そこで出会った先生が良かった。自作のプリントによる、それはそれは細かくも面白い授業。(歴史嫌いの友人は「地獄だった」と言ってましたが…)歴史ウラ話や、その時代について書かれた本まで紹介・貸し出しをしてもらった。 そこで出会ったのが塩野七生さんの『コンスタンティノープルの陥落』である。歴代のスルタンがこうまでしてこだわった「この地」にすっかり魅了されてしまった。さらに、日本の教科書ではほとんど記述がない(手本としていた欧州にとっては、屈辱の歴史なのでね)オスマントルコにも。 その勢いで、大学ではイスラム史を専攻。紆余曲折もあったが、卒論はオスマントルコ占領後のイスタンブルについて。「外国の歴史専攻してるのに、その土地に行かずにいい論文はかけないぞ」という教授の言葉をまに受けて、1年分のバイト代をはたいて憧れのトルコへ。この最初の訪問で、現代トルコのファンにもなってしまった。すっごく人なつこくて、親切なんだもの。。。遺跡もギリシアのそれより迫力あるのだ。…で、結局翌年のバイト代も旅行で消えてしまったのだった。 他の中近東諸国を訪れたのは、就職してから。だから長い休みも、周到な準備の時間も取れず、ツアーに参加するかたちになっている。地元の人々と接する時間がフリー旅行の時より、かなり短くなってしまっているのが残念である。 そんな中でもこの地域に共通するのが、人々の暖かさ。旅人をもてなす誇りすら感じられる。そんなピュアな魂に触れたくて、何度も何度もかの地を目指すのかもしれない。写真を撮る対象が変わってきている、確実に。そして古い昔のことばかりに向いていた好奇心が徐々に現代に近付いて来ている。 西欧経由の資料が少々あるだけ。(それも悪意すら感じられるものも有)異なった習慣・思想をことさら強調して伝える報道。イスラム=過激派&テロだと思っている人多いですよ〜。ハンムラビ法典と混同している人もいたし…。 元はと言えば私のへそ曲がり的性格から、こうした偏見をもたれているものをひいき目で見てしまう……それがイスラムに興味を持った理由であろう。2年程だったが、小学生の時に教会に通っていたので、聖書を読んでいたことも役立っていると思う。この地域やイスラムを知ることに。しかし動機はどうあれ、偏見を持たずに、または捨てられたのは、何より幸せなことではないかな。 そりゃあ7世紀に始まった宗教だから、現代に当てはまらないことだってある。「なんでだよ、おかしいよ」と感じることも多い。納得していないから、学問として興味はあっても、改宗しようと考えたことはない。 少しでも「自分の視野を広げたい・偏見をなくしたい」と考えていた。でも最近そんなに大上段に構えなくてもいいのだと思えるようになった。ただ他の国へ出かけて行って、そこにいる人々を見てみる。あんな人がいる。こんな奴もいる。そんな程度の記憶があるだけでも、以前よりはずっと身近に感じられることだろう。まとめて◯◯国・◯◯国人としてではなく、ひとりひとりの顔が見えてくれば、相手をより大切に思えるのではないかなあ。 「知る」こと。自発的に「知ろう」と行動を起こすことで、それまで本や写真の中の世界に過ぎなかった中近東、イスラム地域への距離が縮まってきた。さらに好きなってきた。こんな風に自分の大切なものを増やしていく…そんな旅を続けていきたいと、切に願う。 |
×マホメット - ◯ムハンマド ×イスタンブール - ◯イスタンブル 一応イスラム専攻なので、これだけはこだわります(^_^;) |
ほ し し ゃ し ん |
なんだか全然関係なさそうな2つの単語ですが、私えるまがカメラを持つキッカケになったのが星。高校の部活動で、星の写真を撮りはじめたのです。 天体写真なんてレベルではなく、ただ三脚にしっかりカメラを固定して、シャッターをBにして数分間。その間は星見としゃれこんでました。白黒フィルムなら、自分で現像・焼き付けが出来るようになったことが収穫かな? 結局その位しか使わなかったカメラ。初めて欧州に行った時も、「ふ〜ん」程度でほとんどシャッターを押しませんでした。ところが!ギリシア、アテネに到着した途端、燃え上がってしまったのです。わたしの遺跡熱が。そこかしこに見られるギリシア神話の世界。首都のど真ん中に佇む大理石の遺跡。あっちにも!そっちにも!こうして星に続き、熱を上げる対象に出会ってしまったのでした。(ちっとも色気ないなあ 笑) これ以降、旅行の都度36枚撮り10本程使うようになりましたが、同じ対象を絞りやシャッタースピードを変えて何枚も撮る…なんてことはしていません。いや貧乏性なんで出来ないのです。いい写真が撮れるかはインシャッラー(こーゆー時に使う奴)。ヘンな表現ですが、一期一会だと思ってシャッターを押してます。 最初の頃はネガフィルムを使っていましたが、片付けが大変になってきたことと色にこだわりたくなってきたので、ポジを買うようになりました。最近はまとめ売りしているFUJICHROME TREBI 100が多いです。 こんなレベルなので、サイトに載せる写真はほとんどいじっていません。使い方をまだマスターしていないせいもありますね。基本的には、ゴミの取り除きとトリミング。自分の思う通りの構図で撮れなかったときにやってます。あと縮小すると、どうしてもぼやけるので、シャープ化をかけます。 色とか上で書きましたが、ちゃんと勉強したことないので、細かいところはいじれませ〜ん!その分撮影時のままの色が再現されているのではないかと思います。また、星の写真から入ったことと、MXは全てマニュアル操作のため、動きの早いものの、ピント合わせが苦手です。致命的?(^_^;) 生意気にも撮影のテーマ(つまりは旅行先になります)は持ってます。フィロンの世界七不思議とメドゥーサです。前者はもう影も形も…なので、その土地を踏みしめることが目標。後者は探せばあるある!遺跡の隅っこにころがっている破片にすら見いだすことができるので、ツアーでの見学は時間との戦いです。 これと平行して実現したいのが、南半球の星座を見ること。南十字星やマゼラン星雲は絶対に見てやるゾ−!と学生の頃誓ったのでありました。日本では見るのが困難な銀河系の中心も、南に行けば拝めるのですよ。(こうゆうこと書いていると『ゲド戦記 さいはての島へ』を思い出してしまいます) まだまだ北半球の遺跡で手一杯。もっと歳をとってからの楽しみとしておこうかな?うまくすれば「宇宙から眺める」ってこともあるだろうしね。 [2004年追加]現在までに3回南半球に行くことが出来ました。南十字星は見たけど、まだマゼラン星雲を見ていません。よーし、まだまだ頑張るぞ! |
好きな星は数々あれど、お薦めなのが「白鳥座のアルビレオ」宝石の様な二重星です。 (白鳥の頭の部分に当たります) 星のきれいな土地へ行ったなら、是非空を仰いでみて下さい。 心の中まで突き通す様な輝きをみせてくれるでしょう。 貴方だけのお気に入り見つけてください |
イ ラ ク 攻 撃 に 関 し て 舌っ足らずな表現で恐縮ですが |
2003年3月22日から数日に渡って掲示板に記した意見を再録。記帳して頂いた方への返事部分を適切な形へ変更。 遂に始められてしまいました。この武力行使に私は反対します。何故ならその理由に対し全く納得がいかないからです。 まず、国際法でも認められないと思いました。どんなに憎くても、法で裁かねばならないと思います。それが苦い経験を積んで、やっと掴んだ人類の英知というものではないでしょうか。 更に環境汚染の面からも非常に問題があります。湾岸戦争の後、周辺国ではしばらくの間異常気象が続きました。そして最近でこそマスコミに取り上げられるようになった劣化ウラン弾の残虐さ。再び繰り返そうというのでしょうか。 現在まで続くイラクの独裁政権は、確かにおかしいし認めてはいけないと思います。しかしだからといって他国が暴力で排除する権利は絶対にありません。理想論にすぎなくとも、どんなに長い時間がかかろうとも、イラクに住む人々の意志と力で変えていかなければならないと考えます。 生活全般を監視されている状態では、横の連帯を作るのも困難でしょう。それでも、これだけ世界中の関心が向けられているこの時期だからこそ粘り強く査察を続けて「ないはずの武器」を破棄させて欲しかった。この方法が権力基盤を弱めていくのに一番の方法だと今でも信じています。 また、武力行使の恐れが強まっていった頃、他の難民支援に使う予定だった予算が、急遽イラク難民対策に振り替えられたため場所によっては救済活動自体が危機に瀕していることを知りました。 新たな「避けられたであろう死」を押し付けた挙句、他の地域の「助かったであろう命」を消していく行為を私はどうしても許せません。 ましてや国家のお墨付を持った暴力ほど性質の悪いものはないのですから。 一方、靴底にこびり着いたガムのように、踏まれた人にどこまでもついてく方針の日本政府。北朝鮮のことを出して正当化しようとしますが、これも納得出来ない。 拉致被害者の家族が訴え続けても長いこと放っておいたのに、今になって「アメリカの助けが必要だから」と言うのはどうゆう了見でしょう。自分達の政策の失敗のツケを、他所の国の国民の命で補うのですか? 私自身は、こういう輩に投票した覚えはないけれど、こんな政府を作られてしまったことに、1人の大人として未成年の方々には本当に申し訳なく思います。 また中近東地域における日本の中立の姿勢を大変誇りに思っていましたが、これからは肩身の狭い思いをしなければならないのが非常に残念です。(今迄にも何度か「日本はなぜアメリカの肩を持つんだ」と文句を言われてはいましたよ) 最後に、話をすり替える様なので余り大っぴらに言いたくはないのですが「イラクは国連決議を10年以上無視してきたので信じられない」と思っている方へ。 それ以上に多く長く無視して他国(敢えて国と表現します)に侵攻している国があります。一応、民主主義国家となっているイスラエルです。そして例えば中央アジアの国々では、独裁国家の道を着実に歩き始めています。 でもこれらの国々は今はアメリカ側についているので問題にされていません。発表されている「危険」の尺度って、こういうレベルなのではありませんか? こういった「ご都合商業主義」の姿勢が変わらない限り、暴力で他人を押さえようとしたツケは同じく暴力で返されていくのでしょうね。余りに哀しく、余りに愚かです。 広く一般に知られていない国々の素晴らしさを伝えたいと思って始めたサイトなので、ホントだったらこういった押し付けがましく感じることは言いたくはないのが本音。しかしこうまで筋が通らない(日本的な表現なら「お天道様に顔向け出来ない」?)行動に対して黙っているのは「承認していること加担していること」と思うので、敢えてこの場を使って考えを表明しております。 「避けられたであろう死」という表現は、新聞の文化欄で使われていました。 抑圧されてきた人々が攻撃の巻き添えをくって殺されるのが嫌で、 その文章を読んだ時「そうだ、こうゆうことなんだ。だから嫌なんだ。」と 自分の気持ちを表現するのに最適な言葉だと思い、使わせて頂きました。 つくづく感じるのは想像力の欠如。 相手の事を知らないから、顔も見たことがないから 暴力をふるうことに平気でいられるのでしょうね。 よく語られる「最小限の犠牲者で」という表現も、うすら寒く感じます。 そりゃ殺される人が多いよりは少ない方がいいでしょう。 だけどこれは自然災害の犠牲者とは質が違います。 同じ人間の手で死を強制されたにもかかわらず、顔も名前も知らない人々だから 「数」で捉えて事足りたように思ってしまうのかもしれません。 歴史的興味から始めた「旅行」という趣味でしたが 旅行先での人々との出会いが、自分の考えに強く影響を与えています。 「れきし たび」でも書いています様に、その土地に行ったという経験から まとめて◯◯国・◯◯国人としてではなく、ひとりひとりの顔が見えてくる。 そうすれば相手をより大切に思えるのではないか。 現在あらためて実感しているところです。 私にはどうしても泣叫ぶ人々の姿が見え、声が聞こえてしまいます。 やはりこの殺戮行為には反対です。 |
作成日:1997年某月 最終更新日:2004/03/20 改装と「イラク攻撃に関して」を追加 Copyright(c)1997-2016 CAYHANE ELMA All right reserved. This website is written in Japanese(Shift_JIS). |