> 林檎通信 >> 1992.05 ヨルダン旅行記 | |
ジェラシュ | |
2世紀に建設された近東の中でも最も保存状態の良いローマ都市。デカポリス(十都市)の1つでもあった。 7世紀初めのペルシアの侵入により衰退。その後8世紀半ばに起こった地震で大きな被害を被った。 ハドリアヌス皇帝の凱旋門 楕円形のフォーラム(広場)[右上] 南の劇場 テトラピオン(南) ビザンティン時代の教会群 アルテミス神殿 列柱道路 等がみられる。 中でもビザンティン時代の教会である聖コスマス・聖ダミアン両聖人教会からはモザイク床が発見されたそうだ。 一方、同時代の住居跡は1992年当時全く手付かずの状態だった。発掘作業は現在どの位進んでいるのだろうか? | 博物館 遺跡の入場券(縮小) |
アンマン | |
空港で一目惚れしたお土産♪ 丘の上の博物館入場券(縮小) | 7つの丘の町。ローマ時代はフィラデルフィアと呼ばれていて、デカポリスの主要都市でもあった。 ビザンティン時代には司教の所在地になっていたという。 6000人を収容可能なローマ劇場[左上] それに隣接する音楽堂と広場 アル・カラの丘にある遺跡: ローマ ビザンティン アラブ 建国の王・アブドゥラ王のモスク (前フセイン国王の祖父) 古い歴史をもつ美しい街・首都アンマン。まだ日本人が珍しいのか、道行く人々はニコニコしながらこっちを見ている。なんだかとっても気持ちが安らぐところだった。 |
マダバ | |
「モザイクの町」の異名をもつ。というのも、色彩に富んだ装飾がされたモザイク床のある教会が、この町に1ダース以上もあるからだ。 その1つが、聖ゲオルギウス教会のモザイクの地図:「最古のエルサレムの地図」[右写真] 中心にエルサレムがあり、ヨルダンとパレスチナ、シリア、エジプトが描かれている。6世紀(A.D. 560-565年)のものだそうだ。 モザイクはビザンティン様式であり、それらのほとんどが古代の教会と個人の住宅の床に描かれている。 |
ネボ山 | |
修道院のモザイク | モーゼ終焉の地。預言者モーゼの墓が有ると言われている。モーゼの十字架も立っていた。 手頃なピクニックコースらしく、訪れた週末には家族連れで一杯。また、山頂からは死海の煌めきがかすかに見えた。 |
こことケラック間のキングズ・ハイウェイはヨルダンの「グランドキャニオン」!特に絶景!!「いろは坂」も何のその、すっごいカーブの連続なので、酔いやすい方ご注意ご注意… |
ケラック | |
十字軍の城ケラック城。12世紀に建設され、1180年代の終わりにはイスラムの英雄サラディンも入城している。 暗いので内部を探検するときには懐中電灯を使用。博物館には何故か駝鳥の卵有り。 | ケラック城入場券(縮小) |
ワディムーサ | |
モーゼの泉。[左]こじんまりした小屋(?)の中に、左の写真の様な岩があって、水が流れていました。 説明を聞いた時に頭に浮かんだのは「日本各地に伝わる弘法大師の伝説みたい…」(^ ^;) |
ぺトラ | |
ナバタイ王国の首都。周囲の岩の色から「薔薇色の遺跡」と呼ばれている。 ナバテア人はアラビアの香料と中国の絹・インドの香辛料を売買し、これら商品をガザとアレクサンドリアにまで運んでいたという。 1キロ程の薄暗いシークを進む… エル・ハズネ[右上] ローマ劇場 王家の墓:宮殿墓 コリント式墓 Urn Tomb[右中] 列柱道路 アル・ディール(修道院)さらに先にはアロンの墓があるそうだ 起伏に富んで面白い土地。岩は砂岩みたい。。。写真で見ていたのとはまた違った印象でした。 この遺跡見学では、初夏と言えども大汗をかくので飲み水必帯!はっきり言ってトレッキング並みに疲れました。(日頃の運動不足がバレバレだね…) 高度な文化を誇ったナバタイ人の都市も、紀元2世紀初頭にローマに占領された。 | ペトラの遺跡入場券(縮小) |
ワディラム |
憧れていた「砂漠」を初めて体験。いやぁ〜本当に埃っぽかった。←当たり前!? 到着後、ベドウィンのデザートポリスと撮影会。コーヒーと極甘ティーをごちそうされました。 アラビアのロレンスに興味ある方には聖地かも。。。 |
アカバ |
ヨルダン唯一の港町。天気が良かったので対岸にイスラエルの町・エイラットが望めました。 目の前に広がる紅海は透明度が非常に高く、ダイバー憧れの地なのだそうです。 |
作成日:2003/02/23 改装日:2004/07/11 Copyright(c)1997-2016 CAYHANE ELMA All right reserved. This website is written in Japanese(Shift_JIS). |