> 林檎通信 >> 2003.12-2004.1トルコ旅行記 | |
■ルート作り ■往路 ■夜行バス |
ここからはサービスバスは無し。朝も早いので路線バスもまだ走っていない。そのためタクシーでホテルへ向かうことにした。坂道を走行中に丁度アザーンが聞こえてくる。暗闇の中、周囲の山々にこだまして拡散していく声。何度聞いても「あーイスラム圏に来たんだなぁ」と実感する瞬間である。 サフランボルでは一泊の予定なので、大奮発してHAVUZLU KONAKへ。でも、こんな時間に押しかけたから、フロントのおじさんも眠そう。(ずびばぜん…。)部屋の用意が出来るのが10時過ぎとのことなので、隣のプールのある部屋に通された。 12時間のフライトの後に6時間強の夜行バスと、身体は確かに疲れてはいるが、何せ旅は始まったばかり。早く町歩きがしたくてウズウズしていた。観光用に、あれこれ荷物を詰め直し、うっすら明るくなった7時半にはホテルを飛び出す。「チャルシュ(旧市街)を見学してから戻って来ます。」とお断りしてね。 土曜日の朝に開催されているという野菜市が目的で慌てていたが、どうやら日本の「朝市」とは違うみたいだ。10時過ぎにならないと、人も店もまばらで寂しい。他の店鋪も同様。ま、その分あちこち歩き回っていた。 丘から降りてきた頃には、お店もぼちぼち開いていたので、朝食を取ることにする。アラスタ・バザールのお店で朝食セットを注文。白チーズやジャム、蜂蜜など、典型的な「トルコの朝食」に、「生人参の輪切り」が盛られた皿も有り。出された時には「ナマ…」と焦ったが、塩辛い黒オリーブと一緒に食べると、人参特有の甘味が感じられるのだ。こんなメニューもたまには良いかも?この時出されたパンがフランスパンを焼いたものだったので、一口大にちぎるのに苦労していたら、隣で食べていたおばさん(友人?スタッフ?)が笑って自分のパンを一切れくれるのでした。あ、あたしって…。 11時頃ホテルへ。うぉ格調高い〜!いい雰囲気♪しかし、古い民家を改装してホテルにしたせいか、階段が斜めになってまして、つい床と垂直に立って登ろうとする私は毎回倒れそうになるのでした。また意外なところに段差があるので、前しか見ないでボーと歩いていて、何度踏み外したことか。(床、踏み抜かなくて良かった…) 部屋でちょっとノンビリ過ごして、ハマムの用意をしてから再出発。土曜日なので、やはり銀行は開いていないや。野菜市は更に盛り上がっていた。午後の方が女性客が多いようだ。歩き回っているうちに霧雨も降り出して、すっかり身体が冷えきってしまった。そろそろハマムに行くとしよう。 中近東に通い始めて十数年ながら、ぢつは私、ハマム未体験のまま。せっかくの初ハマム。「評判のいい所でフルコースするぞ!」と意気込んでジンジハマムへ向かった。入口のドアを開けると、広〜い空間の真ん中にストーブが有り、その回りに女性が数名集まっている。 垢スリとマッサージをお願いしたい旨を告げると、巻布とバスタオルと桶を渡された。(石鹸は持参した)周囲の壁沿いに並ぶ個室のひとつで服を脱ぐ。部屋に用意されていたサンダルを履き、巻布とお風呂セットを持って、入口から見て右手の木戸を開けて進む。「もわ〜」とした蒸気が一気に身体を包む。 湯気の中に浮かび上がる、噂には聞いていた「どすこい体型」のおばちゃんたちの群れに恐れおののき、誰もいない小部屋でプレ洗い。ヘソ石の上で寛いでいると、ケセジのおばさま登場。細身の方だったので、ちょっと安心する。とても丁寧な垢スリとマッサージ。外の寒さからは想像出来ない暖かさに、お湯はジャバジャバ使えるし。これはクセになりそうです、ハイ。(でもさ、つい洗濯をしたくなっちゃう私って変デスカ?) 寝不足でポヨ〜ンとしているトコロに、この気持ち良さ。個室やストーブの側でしばらくポケ〜としてから、昼食兼夕食をとりにレストランへ。好物のマントゥを頼んだら、これが旨い!ヨーグルトソースにもニンニクが効いていて、且つ温かいのだ。作ってくれたおばちゃんに、ジタバタしながら「おいしー!!」と訴えるのでした。 身体はポカポカ、お腹はホクホク。このまま良い気分で寝てしまいたいところだが、明日も夜行を利用する予定なので洗濯を済ませてしまわねば!先程のハマムの「お湯使いたい放題」を羨ましく思い出しながらお洗濯。一通り干し終わったら気が抜けた。時差ボケもあるんでしょうね、ちょっとベッドに寝転がったら即爆睡。夜半に一旦目が覚めたので、歯磨きしてから二度寝。翌朝6時のアザーンの大音響に起こされる。 ホテルの朝食は7時から。昨日使ったプールのある部屋である。泊まり客は皆、朝が遅いようだ。他には誰もいない広〜い部屋で、噴水の音を聞きながら1人でもぎゅもぎゅ食べていた。9時にチェックアウト。この時間になると朝食をとる客で大賑わいだ。 ホテルの場所から新市街クランキョイまでの道は下りから始まるので、つい歩いてしまう。また上りに差しかかったところでバスに乗る。終点で降りると乗客だったおじさんが、バス会社のオフィス近くまで案内してくれた。3軒並んでいたが、アンカラまでの料金は皆同じ。ならばと、メトロ[METRO]にお願いする。10時発のバス。時刻表を見ると、朝は8時から2時間おきにバスが出ているようだ。 9時45分過ぎにサービスバスでクランキョイのオトガルまで。5分程で到着。大型バスに乗り換えて、今度はカラビュックのオトガルへ。ここも10分足らずで到着した。再出発は10時半。割と席は埋まっている。エスキパザルを過ぎた頃から、窓の外は一面の雪景色。お見事!でも視界が真っ白なので眠くなる。 | HAVUZLU KONAK入口 パン屋と猫 アラスタ・バザールへの入口 土曜野菜市 動物市場の七面鳥 ジンジ・ハマム チャルシュ(旧市街)の風景 |
Havuzlu Konak たまには、こんなホテルに泊まるのも良し。スタッフも感じがいい。 シャワー・トイレ付 朝食付1泊50,000,000TL |
アンカラのオトガルへは、大した混雑もなく13時半には到着。イズミル(イズミール)への夜行列車の切符を取るためにアンカライ(地下鉄)を利用して鉄道駅へ向かう。日曜日のせいなのか、途中の地下道に人が多すぎ!でかい荷物抱えて通り抜けるのに一苦労だった。そう言えば、オトガルの銀行も郵便局も閉鎖されていて両替が出来なかったので駅でするつもりだったのだが、ここにも無いよぉ。ATMは幾つも置いてあるんだけどね…。おまけに列車は満席。「んじゃ夜行バスに切り替えて、暗くなるまで市内観光でもすっか」っとエマネト(荷物預かり所)を探したが、こちらも閉鎖されていた。何てこったいっ!トボトボとオトガルへUターン。か、金足りるかなぁ? とにもかくにも、腹が減っては良い考えも浮かぶまい。以前アンカラで食べたチキンが美味しかったことを思い出し、オトガルの食堂でハーフチキンを頼む。期待に反してパサパサでイマイチだったけど、空腹なのが幸いしてほぼ完食。食べ終わってみれば、何とも中途半端な時間だ。近郊の町に移動すると到着時は暗くなってるし、逆に遠くへ向かうと未明に到着となるだろう。「昨年のコンヤでの二の舞いは避けたいぞ」と、ルート変更に頭を悩ますのであった。しかしこれといって決定打が見つからず、支払いを済ませてからも待合室のベンチで更に悩む。 …で結局ウスパルタ方面行きを諦めてアイザノイを見に行くことにした。明日のアフロディシアス行は変更無し。結論が出たのでバスのチケットを買いに行く。その前に一度、クレジットカードでキャッシングを試みたのだが「暗証番号が違います」というメッセージが出て下ろせない。真面目にリラが足りないのでドルの現金でバスチケットを購入した。 ここアンカラのオトガルでびっくりしたのがトイレの近代化。(笑)バス乗り場から見て右手のトイレに入ったのだが、個室の電気も流すのも手洗い用の水も全て自動。わーエライ、エライ。(←失礼な奴) |
バスの出発時刻は21時半。割と混んでいる。夜中1時半過ぎにトイレ休憩と、3時半過ぎに朝食(たぶん)休憩有り。車内サービスは飲物が1度提供されただけ。食べ物サービスに重点を置く私にはイマイチかも、テンポ。[TEMPO] 5時半過ぎにナージルリのロータリーの先で降ろされる。「オトガルはあっち」と指差してくれたけど、暗くて全然見えませ〜ん!もう12時間以上何も食べてないので腹ベコだし寒いし。丁度目の前が営業中のロカンタだったので朝食をとることにした。 イシュケンベチョルバス(羊の胃袋スープ)を、ニンニク控え目でお願いする。食べ終わっても6時を過ぎた程度で辺りはまだ暗い。「オトガルで時間をつぶそう」と、支払いを済ませて場所を尋ねたら「あそこの店の前からバスが出るから、ここで待ってなさい。それに7時過ぎないとバスは来ないよ。」と言われ、好意に甘える。チャイも更にサービスしてくれるのだ。ありがとう〜 7時をちょっと過ぎた頃、店のお兄ちゃんの一人がバス停まで案内してくれた。丁度ロータリーを挟んでお店の対角線上だ。「カラジャス行ドルムシュは7時20分頃来るから」というようなことを告げてお兄さんは去っていく。 だがどんな車なのか分からないし、夜明け前の薄暗い中、眼鏡着用状態で行き先がよく見えず、こっちへ来たバスにやたら声をかけて行き先を尋ねていたよ。 予告通り7時20分過ぎにカラジャス行バス登場。ドルムシュ型だ。徐々に徐々に乗客が増えて満席状態のバスはひたすら東進。そして右折して南下する。次第に夜が明け始める。太陽が昇ると急速に青空が広がっていった。 およそ50分程でカラジャスのオトガルに到着。「ゲイレ行のドルムシュは、あと20〜30分したら出るから」と告げて運ちゃんは去っていった。…と言うことは約1時間後だな。(言われた時間の倍はかかると考えていれば、腹も立たないトルコ旅行) 寒いけど良い天気。こんな青空の下の遺跡が見たいよぉ!午前中に写真が撮りたい!段々気持ちに焦りが出てくる。9時過ぎてもバスは現れないので、来る途中で見かけた銀行へ両替に行ってきた。小さい町なので、控えめに30ドルを両替する。そこの斜め前がタクシー乗り場。アフロディシアスまでの料金を尋ねたら10ドルしなかったので、このままタクシーを利用することにした。 遺跡の手前にあるアフロディシアスホテルで途中下車する。「ホテルのスタッフとは知り合いだし、用意が済むまでチャイでも飲んで待ってるよ」と運ちゃんが言ってくれたので、先にチェックインしてしまう。ユーロかトルコリラなら朝食・夕食付で4千万TLに負けてくれたが、なにせ両替不可能ビンボ。帰りのバス代も出なくなりそうなので、ドル払いにしてもらった。 準備万端、タクシーにて再度出発だ。遺跡入口までの距離は約2キロ位か。チケットを買って歩を進める。…と、初っ端から凄い!石棺が並び、あちらこちらにメドゥーサ、メドゥーサ、メドゥーサ…。嬉しくて目眩しそう。もう「誰か私を止めて〜」状態と化し、写真を撮りまくっていた。 ゆっくりゆっくり歩き回る。白樺の樹が多い。更にちっこいザクロの樹も多く見られた。これって昔からなのかなぁ?劇場を独り占めしていた時には、ついつい叫んでしまった。「全部わたしのもんだーっ!!」 他に人が来ないから、鳥のさえずりや小動物の鳴き声が聞こえてきて、ボーとしているのも気持ちいい〜♪アフロディーテ神殿は、写真で見た程の迫力は感じられなかったが、確かにデカイ。何よりテトラピロンが素敵!だったなぁ。 そうそう、神殿を見学中に、何やら黒い物を視界の隅に捉えた。そっちを「じー」と見ていると、チケット売り場で売り子のお姉さんと一緒に登場した猫ちゃんだ。目が合うと、すっ飛んで来た。カワイイ。ずっと足下にじゃれついていて、くすぐったいのだ。猫が飽きるまで一人と一匹で見学。実に人懐っこい猫でした。猫餌、持って来なくて後悔…。 10時に入場して、スタジアムに辿り着く頃には12時を過ぎていた。ふふふふふ、「遺跡でお昼」実行!昔ミレトスの劇場を見て思った感想「こんなトコでおにぎり食べて、みそ汁飲みたいね」を半分叶えるのだ。 さすがにおにぎりの用意は出来なかったが、インスタントみそ汁を楽しむために、お湯を沸かしてきたのさ。周囲の景色を鑑賞しながら、クラッカーでエネルギーを補給する。 この時間帯ともなると、ちらほら他の観光客の姿も見られたが、同じ所に長い間留まる物好きはいない。なのでスタジアムも独り占め。まずは上を一周する。足下には、ヒヤシンス?それとも水仙かな?かなりの数の葉が出ていた。春先はさぞかし綺麗なことだろう。 下まで降りて、また一周。バンザーイ!な気分。その後は、テトラピロンまで戻り、お昼寝したり博物館を見学したり。雲が広がってきた14時過ぎに遺跡を去る。 てれてれ歩くこと約30分でホテルに到着。さすがに歩き疲れて足が痛い。ロビー前の食事部屋でチャイをいただきながら、娘さんやアンネ(お母さん)とお喋り。丁度インスタント緑茶を持ち歩いていたので、味わってもらったところ「味が薄い、砂糖入れたい」と、概ね予想通りの反応だった。(笑) 昨夜アンカラから夜行バスで来て、そのまま遺跡巡りをしてきた話になると「お腹空いてるでしょう?食事作るよ」と言ってくれたので、かなり早目の夕食をいただいてしまう。美味しいチョルバ(スープ)とキョフテ、デザートはエルマ(林檎)である。この頃からポツポツと他の泊まり客が入り始めた。良かったねぇ。 食事を済ませて部屋に戻る。日が暮れる前とは言え、やはり夏向きのホテルなので暖房を強くしてもさぶい!洗濯を済ませてから、デジカメ用のスマートメディアの予備を探すも見当たらず。やはり持ってくるのを忘れたらしい…。 ポジフィルムも足りなくなりそうな予感がしているところに、この事実。今度の旅は遺跡・神殿三昧の予定なのにぃ!自分の馬鹿さ加減に涙しつつ、薄暗い部屋で急遽リサイズしまくるのであった。 夜半過ぎ、寒さを我慢してベランダへ出る。正面に灯りがあるので見える数こそ少ないが、飽きるまで星空を眺めていた。周囲は暗くて静かで、正に「トルコの田舎」の風景だ。いいトコロだなぁ。また来たいなぁ。 翌朝8時に朝食を食べに行くと、他に2組6名が泊まっておりました。皆英語を話す。「これからどこへ行くの?」とか「トルコで良かった町はドコ?」とか旅行の話をしつつ(しかし私の場合、語順が日本語の英単語会話)、量も質もなかなかの食事を済ませた。ゆっくり荷物を詰め直し、9時半過ぎにチェックアウト。外へ出てみたら、9時半のバスは行っちゃったんだって。 ここゲイレ村の学校の先生だというおじさんとホテル前で2人バス待ち。先生はアイドゥンに用があるそうだ。カラジャス行のバスは何台か来たが「いいから直行を待ちなさい」と言われ、待つこと実に1時間半。村にガスボンベを運んできたトラックの運ちゃんがアイドゥン在住とのことで、それに乗せられる。最初はデニズリを経由してサーリヒに向かおうかとも考えていたが、運ちゃんも先生も「イズミル経由の方がバスも多い」と言うので西回りで行くことにした。 | カラジャス行バス停にて カラジャスのオトガル アフロディシアス・ホテル 遺跡入口 石棺勢揃い 南のアゴラ リスかな? 劇場浴場 アフロディーテ神殿 テトラピロン 競技場〜スタジアム |
シャワー・トイレ付/朝食・夕食込で一泊35$ |
お断り:文字の綴りは「サリフリ」ですが、話しをした人の殆どが「サーリヒ」と発音していたので後者の読みを採用しました。 アイドゥン着が13時ちょっと前。オトガルは幹線道路沿いのこぢんまりしたトコロ。前に来た時と変わっていないみたいだ。先生が荷物を持ってくれて、運ちゃんが出発しかけたバス[AYDIN]をつかまえてくれた。ガソリン代すら渡してる時間もなかったよ。ありがとう、お二方! オトガルを出てしばらく進むと、高速に入っていく。早い早い。1時間程度でイズミル郊外のオトガルに到着した。ずーと我慢していたトイレを済ませて(トイレチップがアンカラより高いことに驚く)から、昼食用にポテトパイを買い出し。 たぶんアフヨン行に乗ればいいのだろうと、バス会社のカウンターに行ったが他の会社を紹介される。到着階の、建物に向かって右端の一角にあるギュヴェン[GÜVEN]だって。あれ?サフランボルに行ったのと同じ会社? 行ってみると、もろサーリヒ行のバスがあった。121番ホーム、チケットの番号は1番。すぐ出るのに…。ま、出発する頃にはほどほどに席は埋まっておりましたが。 14時半過ぎにイズミルを発ち、サーリヒのオトガル到着が16時半前。約2時間の行程だった。夕闇が迫っていて、且つ霧状のものが漂っているため遠くまで見通せない。近くに3軒程ホテルがあるというが、文字が読めないよ〜!で、一番分かりやすそうな目印「市役所」の裏にあるというホテル・アクギュル[OTEL AKGÜL]を探すことにした。いつも180度外れる自分の勘に頼って歩き出す。…したらなんと大正解!初めてかも…。 部屋を見せてもらう。古いが広くて暖かい。フロントも家庭的だし、値段もまあまあなので泊まることに決定。丁度オトガル方向を向いた部屋だったので、窓からおおよその位置関係を掴んでおいた。 ぢつは2泊するので宿泊代を負けてもらったのだが、その代わりに「ホテルのレストランで夕飯食べて!」とお願いされた。しかし、ここサーリヒ名物オドゥン・キョフテはメニューに無いとのこと。観光等で帰ってくるのが遅くなりそうな明日にレストランで食事をする約束をして、賞味する唯一の機会である今夜は、オドゥン・キョフテ探しに外へ出る。 オトガルの南にオープンマーケットがあり、そのまた南側のロータリーに沿って歩いた。左手に、看板を掲げ窯を持つ店舗発見!「TOROS 2」というお店。唖然とした表情の店員さんたちが迎えてくれる。め、珍しいかな外国人? 1皿にキョフテ4串が載り、サラダも付いてくる。パンは旨いし、テーブルに置いてある酢漬け唐辛子は食べ放題だ。飲物はアイランにした。「もー完璧!」と自己満足。食事を終えると、腹ごなしに近辺をグルリと散歩してからホテルに戻った。 翌日は雨模様。でも観光には行くぞ。まずは両替だ!フロントで、銀行の場所を教わってから出発。昨夜食事をした一角より更に南西に進むとジャミィ(モスク)があり、その周辺に銀行やら両替商が並んでいた。 多めに両替を済ませて10時頃オトガルへ。建物の東側に並ぶミニバスの中にサルディス(サルト)行を見つけ飛び乗った。雨は更に強くなっていくので雨傘を用意。途中でバスは左側の小道に入っていった。昨日バスで通った道の更に南側にサルトの町は位置しているのだ。 シナゴーグの先で下車。まずは左手に進んでアルテミス神殿を目指す。道は緩い上り道。途中で何枚か写真を撮りつつノンビリ歩いていたが、20分とかからずに遺跡に到着した。おお、ちゃんと入口にはトイレも作られている。近くにはバスが何台か停車出来るようなスペースもあるよ。 ここサルディスはリディア[Lydia]王国の首都。紀元前6世紀半ばクロイソス王の時代にアケメネス朝ペルシャのキュロス2世によって滅ぼされてしまう。そして現在のイランにあるスーサから伸びる「王の道」の終着点でもあった。そんな歴史的な興味と、以前買った写真集で見かけた神殿の柱の大きさに憧れて、ずっと訪れたいと思っていた。 余談だが、券売所あたりから猟犬タイプのでっかい犬にまとわりつかれた。どうも飼い犬らしいのだが、犬嫌いの人には地獄だろうなぁ。 遺跡に足を踏み入れる頃には雨も上がって、薄日が射し始めていた。こうゆう場所でしっかり効力を発揮する、てるてる坊主たちと太陽に感謝! ひゃあ〜柱だよ〜ん♪ドーリア式柱頭のデカくて愛らしいこと!ギリシアのオリンピアにあるゼウス神殿並のサイズだ。でも柱の溝はこちらの方が少々大きいような気がする。所々黒くなっているのは、焼けた跡なのだろうか? 裏手の高台に登ってからもバシバシ写真を撮り続ける。今回の旅2度目の「誰か〜私を止めて!」状態だ。そして東西に聳え立つ山の形が面白い。東側はアクロポリスで、稜線にイガイガが確認出来る。で…西側の山は自然の造型なんだろうか? 1時間程そこで費やし、町までUターン。お次はバスから見かけたシナゴーグだ。南側に伸びたローマ時代の道を通って東側から回り込む。きれいに修復された壮麗な建物なので、あまり「遺跡」という感じがしない。しかしよくよく見上げてみると、オリジナルらしいレリーフが残っていて見とれてしまう。 12時頃、次の目的地マニサに向かうことにする。ミニバスを降りた所で立っていたら、ヒッピー風の兄ちゃんが英語で「どこ行くの?」と話しかけてきた。「マニサ」と答えると「ここより北側の幹線道路の方がバスの本数が多いよ」と教えてくれる。お礼を言って、北へ向けて歩くこと10分程。昨日バスで通った道が見えてきた。 道路の北側に建つバス停小屋のような場所で待つ。するとここの主のようなじーちゃんから行き先を尋ねられ、ミニ椅子に座って待つように言われた。さすがにバスはすぐには来ない。 ちょっとして、ミカンの皮を剥いていたじーちゃんは「ほれ」とばかりに数房くれる。ありがとありがと。これが今日の昼食だ。 マニサはオスマン帝国第7代スルタン・メフメト二世を始め、歴代の皇太子が大守として治めていた都市。(15,6世紀)この時代に建てられたジャミィ等が多い。また紀元前14世紀にまで遡る歴史を持つ古い都市だ。「ニオベの岩」 ーテーバイの王妃ニオベは6人の息子と6人の娘に恵まれたが、「2人の子供しか持っていない」と女神レトを侮辱したことで怒りを買う。レトは子供であるアポロンとアルテミスに命じ、ニオベの子供たち全員を射殺させてしまった。嘆き悲しむニオベの姿を見るに見かねた大神ゼウスが彼女を岩に変えたのだが、彼女はいまだに涙を流し続けている。ー なるものが残っているのだという。 1時間強でマニサに到着。町の北側にある鉄道駅前で下車して中心街のある南を目指す。せめて地図を手に入れようとインフォメーションの場所を町の人に尋ねるが、なかなか見つからない。結局、何人ものバケツリレー式(途中でお茶休憩なんぞもして)でオフィスまで連れて行ってもらった。 その時点で15時頃。日が暮れる前に観光してしまいたいぞ。更に南下し青空市場を抜け、大汗かきながら丘を登る。カレ(城塞)から見るマニサの町は美しい♪上から見下ろせば、おおよその位置関係も掴めた。 しかしだ、カレの奥まで進んで行ってもニオベの岩は見つからず。悔しい…。薄暗くなってきたので、博物館へ向かった。だが何故だか閉っていて、中庭の展示物しか見学出来ず。 歩き疲れて足が笑ってるよ〜!でも徒歩でオトガルを目指す。その途中で探していたメシール発見!「スペシャル・メシール」だけあって、お値段もそれなり。帰国してから味わってみたところ…シナモン飴のようでした。 インフォメでもらったパンフによると、メシールとは ーオスマン帝国第9代スルタン・スレイマン大帝の母であるハフサ・スルタンはある時病気になる。医者は誰もその病を治せなかったが、メルケズ・エフェンディが作った、ペースト状の薬によって回復した。それがメシールと呼ばれるようになる。今でもマニサのメシール祭において、スルタン・ジャミィのミナレットからメシールを撒く。人々はそれを食べて1年間の無病息災を願うー とのこと。 正月を明日に控えて、町はすごい人出だ。帰りのバスも道路も非常に混んでいる。1時間半程かかってミニバスはサーリヒのオトガルに到着。また雨がポツポツ降り出していたな。 ホテルへ戻って、荷物を部屋に置いてからレストランへ。サラダとサチタワとアイランを頼む。昼食抜きなのですっごい食欲。丁度テレビで放映していたケマル・スナルの映画を観ながら食べる。言葉が分からなくても笑えるんだから、やっぱりすごい作品だ。 新年を迎える10分程前から何発か花火が上がっていたが、クラクションを鳴らして走る車も無い。実にシンプルな年明けだった。 翌朝8時半前に朝食を食べに行く。初日にフロントで会ったおじさんがいて、「あ、ボレキ(パイ)食べるか?」と尋ねるのでお願いした。すると、おじさん用「すぺっしゃる朝食」のお裾分けらしい。でも頂く。今朝はパンも焼き立てのほやほやで温かいし、かなりの量を食べまくっていたな。 | ホテルの部屋からサーリヒのオトガル方向 アルテミス神殿に向かう途中の遺跡 アルテミス神殿〜バックはアクロポリス アルテミス神殿〜上とは反対側からの眺め アルテミス神殿の柱はこんな感じ ビザンティン時代の商店街跡 ローマ時代の道 モザイクのある広間 更に奥に進む マーブル・コートを望む マニサ スルタン・ジャミィ マニサ メルケズ・エフェンディ像 |
←空調完備で、部屋はとても暖かい。テレビ付。 上の方の階にある部屋からの眺め良し。 入口が小さくて見つけにくいので頑張って探そう! Otel Akgül 朝食付1泊25ミリオンTLを22,500,000TLにしてもらった |
たぶん10時頃発のバスがあるだろうと、頃合を見計らってホテルをチェックアウト。しかし行き先に「キュタフヤ」の文字は見当たらず。尋ねてみたところ、「アナドル[Anadolu]に行け」と言われた。しかしキュタフヤ直行バスは12時。そりはちと…。なので11時発のバスでアフヨンまで行って、そこからキュタフヤ行に乗り換えることにした。 10分程遅れて来たバスに乗ろうと待合室を出る。すると車掌さんの一人が正に「硬直」した状態で、でっかく目を見開いてこっちを見ている。その様子が余りに可笑しいので「めるはば!」と挨拶したら動いた。(笑) アナドルの車内サービスは嬉しい。新参の乗客には飲物とお菓子を選ばせてくれるし、新聞のサービス(読めないけどさ)も有る。その後にも2回温かい飲物サービスがあった。 サーリヒ→ウシャク間は山道なのでスピードが出せないらしい。1時間半程度かかった。アフヨン着は14時半頃。 チケットオフィスで、アフヨン〜キュタフヤ路線バスを教えてもらった。ありゃ?またギュウェン[GÜVEN]だ。もらった名刺によるとアフヨン発は7時半を皮きりに2時間ごと。17時45分発が最終。キュタフヤ発は9時半が最初で、同じく2時間ごとに19時半が最終だった。 アフヨン周辺にはフリギア王国にちなんだ遺跡が数多く存在する。「いつか見てやるぞ!」と狙ってはいるのだが、一体いつになるかな…? |
バスは17時頃キュタフヤのオトガル(別名:チニガル さすが「陶器の町」に相応しい名だ(笑))に到着。所要時間は1時間半といったところか。 オトガル周辺のホテル2軒程当たったが、満室だったり納得出来なかったり。この際だから、高くても良いホテルに泊まろうと決意。町の中心ベレディーエ広場へ向かった。内陸の都市だからか?今回で一番気温が低い所かも。さび〜! ギュル・パラス[GÜL PALAS]で部屋を見せてもらう。すごいすごい!タイル装飾はきれいだし部屋は広いし家具も素敵。シャワールームのサンポールもどきの臭いが気になるが、まあいいでしょ。2泊したい旨を伝える。値下げ交渉したが、提示された料金自体が既に値引き価格とのことで、それ以上は下げられなかった。 荷物を降ろして暫しボーとしてから外に出る。明日のアイザノイ観光用に、足りなくなったフィルムの買い出しだ。ホテルへ向かっていた時に見つけた写真屋さんへ。でもさすがにポジは置いていないそうなので、ネガを2本購入した。 それから夕飯を食べるお店探し。時計塔の東側に「イスケンデルン・アイレ・レストラン」という、ちょっと高そうだが雰囲気の良い店を発見。目印は、店頭にドネル・ケバブと並んだ羊のぬいぐるみ♪野菜不足を補うべく、店員さんお勧めのトマトスープとギュウェッチを注文。上品なお味で「んまい!」 すっかり身体も温まったので、支払いを済ませて外へ。ジュムフリエット通りをブラブラと散歩していたら、インジのお菓子に吸い寄せられる。たっぷりチョコレートソースがかかった、プチシュークリーム買っちゃったよ〜!これ食べるんなら少しはカロリーを消費せねば。更に遠くまで散歩してからホテルへ戻る。そして部屋が暖かく、干すスペースが沢山有るのをいいことに洗濯三昧。これだけ動けばいいでしょ。チョコソースの余りの甘さに、頭痛を感じながら食べていたのでした。 朝7時過ぎに最上階のレストランへ。景色の良い席に座ってみたらば…雨降ってんじゃん。朝食済ませて身支度を整えて出発。沢山の洗濯物を干しっぱなしにしているので「部屋のお掃除結構です」札を掛けておいた。 オトガルまで行って、チャウダルヒサル(アイザノイの遺跡への入口の村)行のバスを探す。9時発のイズミル行、キュタフヤルラル[Kütahyalilar]という会社のバスがあったので、それに乗って途中下車することにした。道はアフヨン〜キュタフヤ間より山がちでくねくねしている。そして途中からは一面の雪景色。でも晴れてるよ〜ん! 1時間程でチャウダルヒサルの村に到着。想像していたより大きな村だった。バスを降りた所に遺跡の案内看板が立っているので分かりやすい。降車時に車掌さんが紹介してくれたおじさまから行き方を教わる。一本道なんだから、さすがの私でも迷い様もないのだが…。「遺跡の近くにナジム氏がいるから」と。 西への道をてくてく歩く。800m位かな、10分程度でゼウス神殿を発見!更に進むと、前方右手に立っていたおじさんが話しかけてきた。この方がナジムさん。「まあ、神殿でもご覧なさい」と勧められ、敷地内に入って行った。するとすぐに観光バスが登場。トルコ人のツアーだそうだ。ナジムさんは彼らを案内するために待ち構えていたのだった。 神殿は大神を祀るだけあってデカイぞ。敷地周辺に散らばる欠片からじっくり見て回る。メインの神殿内を探索していると地下室があるのに気が付いた。ナジムさんに質問すると、鍵を開けて中を見せてくれる。暗くて、こぢんまりしているけれど、しっかりした造りの小部屋だ。でも冬だから寒い寒い。 お次は北西方向に進んでローマ時代のハマム。それからスタジアムと劇場へ向かう。ここでスタジアムの東側から徐々に攻めていたところ、靴の底に大量についた泥と、石についてる苔のせいで思いっきり横滑りを起こす。服は汚れるし、カメラのレンズを石にぶつけて、フィルターが歪んでしまった…!毎回、旅行の度にコケてるなぁ私。 気を取り直して見学を続ける。劇場の上から眺める景色は見事。地震で崩れ落ちてしまった元座席も迫力あった。それからゼウス神殿の東側まで戻って、横道に入る。この辺りからツアーの皆さんと一緒に説明を聞きながら見学していた。 しばらく歩くと、ローマ時代の橋の先にアゴラ、円柱通りが見えてきた。こんなトコロに、こんな遺跡があるとはねぇ。川沿いにメインの通りまで戻ると、今度は北側の小道に入る。もうひとつのローマ時代のハマムがあるそうだ。そこには屋根で保護されている「王の客用ハマム」があって、床のモザイクにはサテュロスとマイナデスが描かれている。…ということは、ディオニソス神のモザイクもあったのかも? 見学を終えた時点で12時半過ぎ。ツアーのメンバーと共に村の茶店に招かれ休憩。チャイはご馳走になるは、村人から差し入れられた「金曜日のギョズレメ」を分けてもらうは、記念写真にちゃっかり納まるは。極め付けは「方向が同じなんだし乗っていきなよ」と言われてツアーバスでキュタフヤまで送ってもらったこと。 メンバーの数は15人位。ツアコンが2名に運転手1名。席に余裕があるのに一人二席取るではなく、皆前の方に詰めて座っている。バスが走り出すと順番に(ご指名も有り)前へ出てマイク片手に話をするのだ。で…やはり歌を歌わされちゃいましたヨ。こうなりゃ「いかにも日本」を前面に押し出し、富士山と桜の2曲を披露。音痴だろうが、歌詞を間違えようが分からないもんね〜。 途中で陶器のお店に寄ってお買い物。いづこもツアーは同じやね。その後キュタフヤ郊外のショッピングセンターで、またお買い物だそうだ。ここでバスを降り、ツアーの皆さんとお別れする。どうもありがとうございました! 立体交差の下をくぐり、線路を越えオトガルまで歩く。ここの入口で女子高生の集団にナンパされ、言われた通りに住所を書いてあげたところ「文通したい」という手紙が届いてしまった次第です。 明日のブルサ行チケットを購入してからキュタフヤ観光に乗り出す。ウル・ジャミィはさすがにデカイ!コシュトゥ・エビを外側から眺めて丘の中腹まで登った。周囲が薄暗くなりかけた16時過ぎに考古学博物館へ。受付のお姉さん、片言の日本語を練習中です。小さな博物館だけど、面白い展示物が揃っていたので、ゆっくり写真を撮りながら見学していた。ここでアイザノイの本を手に入れる。 博物館の見学を終えると、町をぶらついていた。お腹も空いたことだし早目の夕食。やはり窯のあるお店に入り、今夜はサチタワを注文する。アジュル・エズメ(唐辛子ベースの冷たいペースト)、サラダ、「ナン」タイプのパンがそれぞれ一皿付く。サチタワには仕上げにチーズとトマトソースをかけてくれた。しかし味付けが淡白すぎたので、こっそりとエズメを混ぜて食べておりました。 ホテルに戻ると、遺跡で「やってもーた」汚れを落とすべく、またまた洗濯に燃える。日本を発つ前に防水スプレーをやっておいたお陰で、何とかキレイになりました。やれやれ。 翌日は、曇り空だが雨は降っていない。移動日なので良かった良かった。オトガル近くにある人物像が気になっていたので、通りがてら名前を見てみたら17世紀の旅行家エウリヤ・チェレビー。この名前を知ってる自分も自分だが、随分と渋い選択をするなぁキュタフヤ。 | ホテルのレストランから見るベレディーエ広場 アイザノイ〜メドゥーサのレリーフ アイザノイ〜ゼウス神殿 アイザノイ〜ゼウス神殿の地下 アイザノイ〜劇場から眺める アイザノイ〜海の怪物らしきレリーフ アイザノイ〜アゴラ(円形商店街説もあり) アイザノイ〜ローマ時代のハマム キュタフヤ郊外〜陶器のお店 キュタフヤ考古学博物館〜ヘカテ像 |
部屋は広いしキレイでテレビ付 朝食・シャワー・トイレ付 一泊 35,000,000TL |
キュタフヤからブルサ郊外のテルミナル(ブルサのバスターミナル)まで、約2時間半弱。市内へ向かうバスを探すと、128番バスもヘイケル(ブルサの町の中心)へ行くとのこと。 30分位かかったかなぁ?何せあちこちの住宅街に寄りつつ進むもので、方向がてんで分からなくなる。おまけに以前訪れた時から15年近くたっているので、町の様子も思いっきり変わっている。階段状の噴水の所で降ろされて「はて〜?」と右手を見上げてみれば城塞ではないか。「!」よし分かった。当時、散々歩き回っただけのことはある。見た目は変わっていても、記憶が蘇ってきたよ。 人込みを避けつつ西へ進む。ウル・ジャミィを通り越し、目的のホテル・チェシュメリ[HOTEL ÇESMELI]へ。うっ!外見高そう…。ま、これが今回最後の宿泊ホテルになるから少し位いっか。 気さくなフロントのおばさまが対応。部屋は日本のビジネスホテル風でこぢんまりしている。しかし噂通り「掃除しっかり」で大層キレイ。一泊の値段はキュタフヤでのそれと同じだったが、余りに感じが良くキチンとしているので、二泊するというのに値切るの忘れた…。 観光用に荷物を詰め直して出発。まずはトルコリラ貧乏から脱出すべく両替へ。ついでにコザ・ハンもざっと見学した。周囲の商店街も土曜日のせいか、大層な人出だ。 その後は昼飯昼飯。以前は老舗で食べられなかったので、今回は本家のケバプチュ・イスケンデルを探す。うはー、さすが店構えも立派。店内は客も多いが店員も多い。 ノルマル(並)サイズのイスケンデル・ケバブと飲物にシュラを注文。ブドウ風味のおススメ飲物と聞いていたので、お願いしたのだよ。昔、アイランを頼んで胃酸過多になってしまった苦い経験があったもので…。お店の人も注文した時「おお、ありがとう」と言ってたな。通(つう)? イスケンデル、さすがに旨い!お皿が来てから、溶かしたバターの入った鍋持ちおじさんがやって来て、上からかけてくれる。油ぎっているので、すぐに飽きるかと思ったがペロリと食べてしまった。あ、シュラはぶどうジュースを砂糖水で薄めた感じでした。どうやって作ってるんだろ? 満足満足。店を出て、お次はテレフェリキ(ロープウェー)乗り場へ向かう。途中で映画館発見!ぢつはワタクシ、日本より二ヶ月早く封切られている『王の帰還』が観たくてフリーの旅を選んだのです。中に入って上映時間をチェック。今15時近いから、お次は17時の回。よっしゃー!気合いを入れて坂道を登る。はい、結局歩いて行きましたよ今回も。 乗り場まで大体30分位かかった。以前歩いた時より疲れが少なく感じたのは、毎日のウォーキングのおかげかね?振り返って市内の写真を撮る余裕もありましたヨ。 スキーやバーベキューをする訳でもないので、ただ行って戻ってくるだけのつもりだ。しかし何らかの理由で、途中駅までしか動いていないそうな。それでもいいので往復チケットを購入。所要時間は10分程度か。 曇り空で、且つ冬でもあるので「緑のブルサ」は堪能出来ず、ちと寂しい風景でございました。周囲をざっと歩き回って戻る。標高が高いから寒い寒い。そしたらお次の下りは16時20分になってんの。映画17時からなのにぃ〜! テレフェリキを降りると、駆け足で飛び出す。今度は下りなので早い早い。20分程で映画館に到着。ふう、何とか間に合った〜。 映画が終わって外に出た20時過ぎ、雨は降ってるし、店はことごとく閉っている。ちょいと店じまいするの早くないですか?そこで夕食をテイクアウトすべく、ホテル斜向かいのお店へ。ピデを買い出ししてきて部屋で食べるのでした。映画思い出しながらしみじみしちゃったんだよな。 7時半からの朝食素敵〜♪沢山種類があるよぉ。ヨーグルトも!目玉焼きも!朝からテンション高くなるのでした。外は雨降りなんだけどね。 フロントでテルミナルへの行き方を教わってから8時過ぎにホテルを出る。道路を渡った向かい側4番停留所に38番バスが停まるのだそうだ。所要時間は20分位。 テルミナルの建物に向かって右の端にミニバス乗り場有り。そこにイズニクを始め、近場行きのバスが停車している。9時半に発車。外はしとしと雨降りで、車内は静か〜で案の定眠りこける。11時頃イズニク到着。一旦、町の中心まで行ってからオトガルへ入った。何やらちっちゃい町だなぁ。 南にあるイェニシェヒル門、ローマ劇場、西のギョル門を通ってイズニク湖沿いを少々歩く。中心に戻ってアヤ・ソフィアを見るが、休館日でもないのに閉っている。325年コンスタンティヌス帝が召集した、かのニケーア公会議が開かれた場所なので是非見たかったんだがなぁ。 南と西の門が「それなり」にしか残っていなかったので、イェシル・ジャミィや博物館を見学し終えると、さっさとブルサへ戻るバスに乗ってしまった。(帰国してから東のレフケ門が素晴らしいことを知り、更に後悔…) テルミナルで明日のイスタンブル行のバスチケットを取ってしまう。エセンレル・オトガルから空港までのサービスバスが有るとのこと。これでお金も足りそうだ。つい気が大きくなり買い物をしてしまう。前回購入を諦めたブルサ名物マロングラッセさっ♪栗自体の大きさが全然違うんだよね〜。試食もさせて貰えて嬉しい。 さあ、締めくくりに豪華な食事をするぞ!38番バスで市内へ。記憶を頼りに道を下ると、ほのかな「魚のかほり」のする一角有り。小道に入ってみると大当たり!手前右手がアラップ・シュクリュ・ユルマズ1だった。まだ夕食の時間帯には早いけど、案内してもらえて、エビがあった(私のフィッシュレストラン選択基準って…)ので入る。 メゼが何種類もあって美味しそう〜♪少しずつ盛り合わせで頼む。あとは材料だけ選んで料理方法はお任せにした。メインは鯛。ずっと持ち歩いていた、往路の機内食に付いてきた醤油が役立つ時がきたぞ。そして飲物はエフェスビラさ。 向かいのお店の厨房出口で餌をねだる猫ちゃんたちを眺めながらの食事だ。うおー旨い旨いぞー!大食い女と化して、デザートのフルーツ以外は全て平らげる。動いたら転がりそうなくらい満腹だ。お陰でお値段も「それなり」。 ふりゃふりゃ状態のまま、5時半頃店を出てホテルまで歩く。途中でお土産を買い出ししようと思っていたのだが、日曜日のため軒並み閉店している。所々開いているのはタオルのお店ぐらいだ。ハンの中をうろついたが、めぼしい物は発見出来ず。奥にあったチャイハネでお巡りさんや店員さんとお喋りしながらチャイを奢ってもらうのだった。うーん、明日空港で買い出しだ。 | コザ・ハン中庭 イェシル・トゥルベとイェシル・ジャミィ テレフェリキってこんな感じ ウル・ダー(ウル山) イズニク〜ローマ劇場 イズニク〜西側のギョル・カプス イズニク〜アヤ・ソフィア イズニク〜考古学博物館 イズニク〜イェシル・ジャミィ |
HOTEL ÇESMELI シャワー・トイレ付 一泊35,000,000TL 朝食もメニューが豊富で美味しい♪ 部屋の掃除っぷりもお見事! スタッフたちも良かったのに、写真撮ってくるの忘れました。。。 |
■ブルサからイスタンブルへ | |
■空港にて ■帰宅まで おしまい |
■旅のお小遣い帳 +為替レート+ 1米ドル 約1,390,000TL 1円 約12,500TL | ||
メトロ代 バス代(イスタンブル→サフランボル) | 1,000,000TL | |
朝食(朝食セット) 昼食兼夕食(マントゥとファンタ瓶1本) タクシー代(クランキョイ→ホテル) 絵はがき・切手(各2枚) ハマム料金(垢スリ・マッサージ込) トイレチップ チップ お土産類 | 5,000,000TL | |
宿泊費(朝食込) 昼食(ハーフ・チキンとスプライト1缶) バス代(チャルシュ→クランキョイ) バス代(クランキョイ→アンカラ) アンカライ代(アシュティ〜マルテペ往復) バス代(アンカラ→ナージルリ) トイレチップ(2回) | 50,000,000TL | |
朝食(イシュケンベ・チョルバス) バス代(ナージルリ→カラジャス) タクシー代(カラジャス→アフロディシアス遺跡) アフロディシアス遺跡入場料(博物館込) | 2,000,000TL | |
宿泊費(朝食・夕食込) 昼食(ポテトパイ) 夕食(オドゥン・キョフテとアイラン) おやつ(ETIのスナック2種) バス代(アイドゥン→イズミル) バス代(イズミル→サーリヒ) トイレチップ お土産類 | 35$ | |
宿泊費(朝食込) 夕食(サラダとサチタワとアイラン) バス代(サーリヒ→サルト) バス代(サルト→マニサ) バス代(マニサ→サーリヒ) アルテミス神殿入場料 シナゴーグ入場料 お土産類 | 22,500,000TL | |
宿泊費(朝食込) 夕食(トマトスープ,ギュウェッチ,アイラン) 夜食(プチシュークリーム4個) バス代(サーリヒ→アフヨン) バス代(アフヨン→キュタフヤ) ネガフィルム(2本) トイレチップ(2回) お土産類 | 22,500,000TL | |
宿泊費(朝食込) 昼食(ポアチャ2個) 夕食(サチタワとアイラン) バス代(キュタフヤ→チャヴダルヒサル) バス代(キュタフヤ→ブルサ 翌日用) アイザノイ入場料(外国人料金) キュタフヤ考古学博物館入場料 ガイドブック代 トイレチップ | 35,000,000TL | |
宿泊費(朝食込) 昼食(イスケンデル・ケバブとシュラ) 夕食(チーズピザ) バス代(テルミナル→ブルサ市内)128番 ロープウェイ代(途中駅まで往復) 映画館入場料 | 35,000,000TL | |
宿泊費(朝食込) 夕食(ビール1瓶,エビと赤ピーマンとイワシ3種のマリネ, イカの唐揚げ,茸とエビと青唐のギュヴェッチ,焼き鯛,果物) 夜食(ウル・ダー1缶) バス代(ブルサ市内〜テルミナル往復)38番 バス代(ブルサ〜イズニク往復) バス代(ブルサ→イスタンブル 翌日用) イズニク考古学博物館入場料 チップ お土産類 | 35,000,000TL | |
宿泊費(朝食込) 昼食(サンドウィッチとアイスコーヒー) タクシー代(ブルサ市内→テルミナル) トイレチップ チップ お土産類 〃 (通販やカードにて) | 35,000,000TL | |
■宿泊費 滞在費 計 | 35$ 50$ ¥13,099 551,000,000TL ¥164,440 ¥5,600 |
作成日:2004/01/25 最終更新日:2004/04/11 Copyright(c)1997-2016 CAYHANE ELMA All right reserved. This website is written in Japanese(Shift_JIS). |