> 林檎通信 >> 2002.12トルコ旅行記 | |
■何処へ行こうか 「冬は寒いからノンビリとツアーで見学しよ」気分になっていたのに、希望していたツアーが軒並み中止になってしまった。それが出発ひと月前。 今からプランニングして…航空券取って…なんてやっている充分な時間がない。そこで行き慣れていてガイドブックも一通り揃っているトルコへ旅先を変更する。夏には蒸し暑くて溶けてしまうであろう南東部、シリア平原あたりを目的地に定めた。 往復には、もう少しでアップグレード可能なマイルが溜まるトルコ航空を希望していたが、ここまで切羽詰まった時期では席を確保出来ず、共同運行している日航のチケットとなった。そのためトルコ国内線2フライト無料のサービスが受けられない。 しかし遠いところを巡る予定なので、やはり飛行機を利用したい。トルコ航空のサイトにあるスケジュールコーナーで検索をして凡そのルートを定め、国内線の手配もしてもらった。 ■泊まるところを確保する 初日と最終日のホテルはいつも通り日本から予約していく。夏に利用したホテルの予約サイトで場所・料金から目星を付けてネットから予約。 ところが初日の宿泊を希望していたホテルから返事が来ない。メールで問い合わせをしてもナシのつぶてだ。 そこで値段が高くて今回は見送るつもりだったSevcan Hotelへ乗り換える。ここも反応がなかったので同じくメールで問い合わせをしたら、すぐに返事が来た。サイトからの予約が届いていなかったそうだ。アブナイアブナイ。 予約に必要な情報を記して再度メール。だめ押しで「夏に泊まった時にサービスが良かったから」なんぞと書いておいた。それが出発前日だったので、確実に受け取ってくれたか心配しつつ旅に出たのでありました。(ちなみに「だんまりホテル」はここのお隣りなんである) ■イスタンブル到着 ぢつは成田で搭乗券を機械に通そうとしたらハネられたのです…。夏に続いて行き先が行き先なので「要注意人物として搭乗拒否!?」かとマジ心配しました。(小心者?) TK051便はほぼ時刻通りにアタテュルク国際空港へ到着。しかし荷物が出てくるのがやたら遅かった。それに空港の両替所ではT/Cは使えないし、手数料4ドルも取るし。(トルコでの4ドルは、とても貴重なんだい!)サービスの質落ちてる? 「迎えが来ていなかったらタクシーで行ってしまおう」と考えながら税関を抜ける。すると…ありがたいことに、しっかりお迎えの2人が名前を記したミニ黒板を持って待っていました。夏とは違う兄ちゃんコンビ。前回は普通の乗用車だったけど、今回はミニバンである。たった一人の送迎なのにねぇ。 「空港から3分」を謳っているので到着はあっと言う間だ。空港でリコンファームが出来なかったのでフロントで電話を借りるも、日曜日の夜9時を過ぎているせいか誰も出ない。諦めて部屋へ。ところで、空調を入れるとパンのいい香りが漂ってくるのはナゼだ? この↑サイトを見てネットから予約した場合 空港往復プライベート送迎と朝食付 クリスマス料金・シングル60ドル |
朝7時発のディヤルバクル行に乗るため6時前にホテルを出る。夜明け前でも上着を着る程の寒さではない。昨夜の運ちゃん1人に送られて空港へ。クリスマス前なので飾り付けがしてあって、かわいらしい雰囲気だ。 さっさと手続きを済ませ機内に乗り込む。前方はともかく、後方は空席が目立つ。やはり人気のない路線なのか? 飲み物サービスの後うつらうつらしていると、いつの間にやら窓の外は一面の銀世界。まさか南の方までこのまんまじゃないでしょーね!と突っ込みを入れつつも飛行機はディヤルバクルに到着。ありゃりゃ〜雪が降り積もっておりました。 空は気持ちよく晴れ上がっている。刺すように冷たい空気の中、ターミナルへ向かって歩いて行った。地面が凍っているので気を付けねば。 空港から市内へのトルコ航空送迎バスは走っていないのでタクシーに乗る。バトマン行のバスが出るダーカプまで行ってもらうのだ。しかしバトマンを経由してハサンケイフへ向かう予定であることをつい喋ってしまったら、運ちゃん俄然張り切り出した。 「ダーカプまででいい」と言っているのに「ハサンケイフまで行く!」と言い張る。あーだこーだと料金の交渉をして、お互いの言い値の真ん中程度で決着をつけた。 ディヤルバクルとバトマンの中間辺りは気温も高いらしく雪も溶けていたが、そこから先はまた冷え込んできた。灰色の雲がたれ込めて、今にも雪が降り出しそうな雰囲気。外を歩く人々は皆モクモクと煙を吐いている。あんなに吐く息が白く見えるなんて初めてだよ。寒そう〜! バトマンの町を抜け南へ折れ、山あいの細い道を進む。出発してから2時間強、開けた谷間が見えてきた。そうそう、ネットで見た風景だ。(参照) | 国内線ターミナル 機内より雪景色 チグリス河も雪景色 |
現代の橋を渡りきったところで車を降りる。運賃を支払って、更にバクシーシする運ちゃんを「何ゆーてんねん、今日は豪遊出来るくらい稼いだでしょうが、この金持ちオヤヂ!」とド突いて送り出した。ニコニコどころか「もう笑いがとまりません」って表情だったもんな。 ハサンケイフに興味を持ったのは、以前トルコ観光局でもらったパンフレットに写真が載っていたから。更に数年後、ここを訪れた人から「いいところだよ」という話を聞いた時から訪問する機会をうかがっていた。 何せ夏はうだるように暑い土地の近く。反対に冬なら少しは過ごしやすいだろう…という予測は実に甘かった!内陸だから「夏暑く冬寒い」のだ。 9月に出来たばかりというハサンケイフ・モテルは夏なら避暑地の安宿として絶好のロケーションだ。部屋からはチグリスの流れが望め、せせらぎの音が心地よい。しかし夏向きなだけに、ベランダ側のドアのすきまから容赦なく風が吹き込む。ちっこい電気ストーブを置いてくれたが、真ん前しか暖かくないよ〜! 気を取り直し、昼食を取ってから見学へ行く。来る途中の右手に見えたゼイネル・ベイ霊廟。彼は白羊朝のウズン・ハサンの息子である。中央アジア風の石の色をした壁面に残されている青緑色のタイルがきれいだ。バックが青空だったらさぞかし映えることだろう。どんより曇り空なのが実に残念。 再び町へ戻り、ざっと見学をしてからホテルの青年の案内で城塞へ登る。高さがあるので絶景、絶景。町の様子がよく分かる。城塞の上部には、幾つもの小部屋を持つ建物があちこちに残っている。内部は暗いのでライトを持って行って正解。造りがよく分かりました。 16時を過ぎるとかなり薄暗く、17時頃には真っ暗。早目の夕食を済ませて部屋へ戻る。町にはネットカフェもあるそうだけど、旅先では普段の生活と違うことをしていたいので利用しなかった。 せっかく熱〜いお湯が出るのに、室内の気温が低すぎてシャワーを浴びる元気なし。夏の旅行の時には使用しなかったパウダーシートが活躍するのだった。 寝る前にストーブを近づけようと動かしたら、あらら消えちゃった!コンセントを入れ直してもつかない。真っ青…。 着られるもの全て着込んで上着も羽織って毛布5枚掛けて寝たけれど、冷えきっているので寝付きが悪い。寒さで身体がこわばっているから、夜中に金縛りにあう始末。朝の気温は3度以下に下がってましたわ。 これ以上寒いのは嫌〜!ってんで、当初の予定・東進してシイルト見学を諦めました、ハイ。 翌日の午後2時過ぎにミディヤットから戻って来ると、城塞とは反対側の山中を探検する。ヨルダンのぺトラのような狭い谷間を面白がって進んでいった。 30分位行った地点で向こうから来る羊・山羊連合軍と遭遇。放牧の道だったんだ。羊飼いのお兄ちゃんに岩の上から挨拶すると驚いてました。そうだろうね〜外国人観光客の来る所じゃないわな。 これだけの動物たちの通った後を行くのは落とし物を避けるのに苦労しそうなので、この辺でUターンする。途中で東側に逸れて町中に残る遺跡(?)やスルタン・スレイマン・ジャミィとミナレット等を見て回った。 一旦ホテルへ戻ってフロントでストーブに当たっていると、青年がホテルのオーナーの家に招待してくれると言う。トルコの家庭料理の美味しさはハンパじゃないので即OKする。 一緒にいた女の子に案内されて室内に足を踏み入れると、一家総出で出迎えてくれる。ババ(お父ちゃん)にアンネ(お母ちゃん)に子供達9人のうちの6人。うひゃひゃ同じ顔してる〜! ウェルカム・コーヒーに始まって、サラダもスープも何もかもがメッチャ旨い!ガツガツと食べてました、私。お礼に折り鶴を大サービス。そして辞書片手におしゃべりしまくる。 お次はババの姉妹の家へ移動。デジカメでお互いを撮りあって、何人もの子供達に囲まれて歌って踊って…。この子らのアンネと4歳しか違わない身では、若いパワーについて行けませ〜ん! ヘトヘトに疲れ果てた20時半頃、ホテルに帰還。ストーブも再度点けてもらった。昨晩よりはマシだけどやはり寒いことには変わらない。何と言っても雪が降り積もっていたんだもんな。今度は暖房の効いたホテルに泊まるゾー! | 唯一の熱源だったストーブ 現代の橋とハサンケイフの風景 12世紀アルトゥク朝の橋跡 七面鳥と牛と猫 谷間の入口 最終日は雪景色 |
Hasankeyf Motel 全部で8部屋位だったか、こじんまりしたホテル シャワー・トイレ共同・女性用は各1個ずつあった 24時間熱いお湯が出る 朝食無し1泊10,000,000TL |
寒さでガチガチに身体が強ばってた朝、唯一のメニューであるメルジメッキ・チョルバス(レンズ豆のスープ)の朝食をとる。一旦ホテルに戻って身支度してから出発だ。 メインストリートで待っていたら、運良く大きめのミニバスがやって来た。満席だったが、運ちゃんの隣の席に座らせてもらえて、景色を堪能出来ました。 峠を越えると薄日が射してきた。木々や草が白くキラキラと輝いている。「綺麗だなぁ」とじーと観察していると、それは雪ではなく樹氷。雪国育ちでない私にとっては、それはそれは感動的な風景でした。 途中の町ゲルジュシュに近づくと、周囲は霧に覆われ極端に視界が落ちてきた。雪も大層降り積もっている。しかし町を出てしばらく行くと雲は切れ、ミディヤットに到着してみたら、ほぼ快晴だった。 バスを降りたものの「ここはドコ?」とキョロキョロしていると、おいちゃんが「旧市街はあっちだよ」と教えてくれた。ミナレットを目印にウルジャミィへ。地面が凍り付いていて危ないぞ。 お次は道路を横断して坂を登って行く。住宅街に入ると雪かきしていないので歩くのが大変だ。一番手前にあった教会を塀の外から見ていたら、男の子が中に入るところ。「入っていい?」と尋ねると可愛く頷く。 中庭を見学してお暇するつもりだったのだが「中に入れ」と誘ってくれる。お言葉に甘えて足を踏み入れると、そこはミニ寺子屋みたい。男の先生1人に小学校低学年位の子供達が7人。それぞれ本を読んだりノートを書いたりしている。 側にいた子にアラビア文字で書かれた紙を見せられた。「すごいね、難しいのに読める?」ときくと、静かに朗読してくれる。「すごいすごい」と拍手をすると、誇らし気に裏面まで読み聞かせてくれた。 そこへ高校生ぐらいの少年がやって来た。彼は先生に何か言われると鍵を持って出て、教会のドアを開けて中を見せてくれたのだ。 壁には聖人たちのフレスコ画だけでなく、聖書の有名なシーンをパッチワーク(?)で作ったものが掛けてある。初めてそういった聖布を見て、申し訳ないけどウケてしまった。と言うのも、絵やモザイクと違って細かく表現出来ないせいか、登場人物が皆ビックリ猫の目をしているから。それに心持ち頭でっかちのような…。 「ごめんなさい、ごめんなさい」と相手に悟られないように笑いをかみ殺して見学するのだった。どう反応していいのか分からず、かなり複雑で難しそうな顔つきになっていたことと思う。(不届き者でスイマセン) 先生や子供達にお礼を言って外へ出る。教会の塔を目印に進んで行くが、非常に入り組んだ道なのでよく分からない。おまけに興味津々の子供たちが続々と後をついてくるので、ガキ大将状態だ。 「ここが入口だろう」と門を押し開け、中にいた人に「キリセ?」と尋ねると、上を指差す。階段を登って上から見て初めて、ここが個人のお宅だと気がついた。ひゃーごめんなさい!でもしっかり教会の写真は撮ってから、家の人に「ありがとうございました」して退散。 バスが着いた広場に戻り、マル・ガブリエル(聖ガブリエル修道院)へ行くためのタクシーを探すが見当たらず。お巡りさんや軍人さんを尋ね歩き、やっとタクシーの運ちゃんを見つけた。「タクシードルムシュ」と書いてあるのに他の車が駐車してあるし、タクシーだって車体が黄色じゃないんだもん! アラブ訛りの英語を話す陽気なおじちゃんの運転で平原を30分程走る。高台に建つ蜂蜜色の建物が、西暦397年に建設されたマル・ガブリエルだ。確かに人里離れたところにあるなぁ。 建物の中は乳香の香りがほのかに漂っている。子供達の学校や女性寮、墓所等を案内してもらって約20分。ここでも聖布の猫目に「う”っ」となる。シリア正教会って…。 12時前に広場へ帰還。「これからどうするの?ハサンケイフへのバスは向こうから出るよ」と運ちゃんに教えられたが、「お昼食べてから帰る」と答える。するとすぐ目の前の建物へ案内された。そこの2階が食堂なのだ。ちなみに3階はホテルなのだそうだ。 料理を見せてもらって注文を決める。ギュヴェッチにも惹かれたけれど、小麦粉フリークな上、窯まである食堂だったのでラフマジュンにしてしまった。雪国のダルマストーブもどきに当たって出来上がるのを待つ。やってきたのは大量かつ巨大サイズ。頑張って食べたけど半分近く残してしまった。トルコのお百姓さんごめんなさい。 バトマン行のバスを探す。人に聞くと言うことがそれぞれ違っていて、かなりあちこち歩き回ってしまった。 帰りはドルムシュタイプだったが料金は同じ。スピードも出せたので往路より更に早く、1時間とかからないでハサンケイフに到着できた。 | ウル・ジャミィ キリセ(教会) マル・ガブリエル |
昨日とほぼ同じ8時20分頃にやってきたミニバスに乗る。雪が降っているせいなのか?今日は乗客が少なくて、常に5人程度。道の途中でタンカーが立ち往生していた関係で時間がかかり、ミディヤットに到着したのが9時40分頃。すぐ目の前でマルディン行のドルムシュが発車するところだったので飛び乗った。車はずっと満席で立ち客もでていたなぁ。 ミディヤット〜マルディン間は晴れてはいたが、とても雪深い。でも平気で飛ばす。ミディヤットを出て1時間半強でマルディンに到着した。 坂道で降ろされたものの、東か西どっちのバス停なのか分からない。するとバスでずっと隣に座っていたアラブ風じーちゃん(かわいいのだ♪)が「どこ行くんだ?」と尋ねてきた。「ホテル」と答えると、「こっちだ、ついておいで」と坂道を登りだした。リセ(高校)と病院の前の三つ又に分かれた所まで来ると、真ん中の通りを指差して「この道をまっすぐだ」と言って去って行った。(「お、お侍さま〜お待ち下され!」って感じ) 物珍し気に集まってくる高校生たちに尋ねても「ホテルはこの通りの先だ」と答える。すっごい上り坂ぢゃん…。坂が急だから苦しいのか、強風が吹いているから進まないのか。嫌になるくらい登っても登ってもホテルは見えず、何度人に尋ねたことか。 30分近くかかったかなぁ?進行方向左手にそれらしき入口を発見。周囲の建物に溶け込んだ造りなので、沢山の国旗がはためいていなかったら通り過ぎていたかも。古い建物を改装したホテルと言うだけあって、雰囲気のある渋い建物。おまけに調度品にも品がある。こーゆートコ大好きなんだよね〜♪オーナーを始めスタッフも感じが良かったし。値切ったくせに、今回イチ押しのホテルでございます。 さて、居心地のいい部屋を後にしてザファラン修道院の見学へ。先程じーちゃんに案内された交差点は、タクシーとクズルテペ行ドルムシュの乗り場となっている。時間が時間なので、乗り場に面した所にある、繁盛しているケバブ屋さんでお昼を食べてからにする。このお店は女性同士の客も多くて入りやすいし、旨くて安いのでお勧めです。 タクシーに乗る前に、運ちゃんに凡その運賃を確認。10ドル未満なのでお願いする。坂道を下った後に左折。坂道をぐーと登って行く。歩くの大好き人間だけど、坂道は苦手なので、タクシーにしておいて良かった。 今度は少年2人がそれぞれ英語とトルコ語で解説しながら修道院内を案内してくれた。規模と造りは、昨日行ったマルガブリエルの方が立派な気がする。そんな訳であっと言う間に見学終了。 町へ戻って来た段階では陽も高い。せっかくの晴天なので、ここから通りを西へ向かいつつ写真を撮っていくことにする。ジャミィ(モスク)やトゥルベ(霊廟)、メドレセ(神学校)などなど。あちらこちらに興味を惹く建物が建っている。深い歴史が感じられる町だなぁ。 通りの半分位まで進んだ頃には日射しが弱まってきた。見学はひとまず置いておいて、新市街にある県庁内のインフォメへ資料をもらいに急ぐことにした。しかしだ、次第に風は強まり(今迄だって強かったのに!)立ち往生してしまうこともしばしば。持ち歩いている温度計は2度だったけれど、この強風では体感温度たるや一体…。凍り付いた急な坂道を慎重に下る。 ヘトヘトに疲れ切った16時過ぎ、やっと県庁に到着した。周囲はもう薄暗い。正面の建物に向かって入って右手、3階まで階段を上がったら左に曲る。奥から2番目(だったか?)の部屋。町の地図入りパンフをもらった。 担当のおじさまのお勧めはカーシミーエ神学校とザファラン修道院、そしてダラ遺跡。このダラ遺跡は町の南東20キロにあって、劇場などが残っているそうだ。かなり強く「いいぞいいぞ」と言われたんだけど、交通手段がタクシーになるのと、時間がなくて行けなかったのだ。マルディン博物館も観られなかったし、こりゃ再訪するしかないか…。 足も痛くなっているので、帰りはバスを利用。坂道も何のその、「え?」と言うくらい簡単に到着してしまった。こんなに簡単に行くなら、ケチらないでさっさと乗れば良かったよ。(涙) さあ、今夜は久々にシャワーを浴びれるぞー!洗濯も済ませてしまってから、ホテルのレストランを訪れる。穴蔵風でいい感じ。料理を見せてもらってメニューを決めた。 いつもはロカンタ専門の私だが、今夏に大当たり!のレストランで食事をしてからは「時々利用するのもいいなぁ」と思うようになったのである。ただ、この時に最高級のサービスを受けてしまったので、どうも評価が辛口になってしまう。 ここのボーイさんってば、まだ不慣れな様で、堅くてイマイチ気がきかない。味も合格点ではあるが、もう少し「旨味」があっても良いのでは?というのが素直な感想だ。 翌日、午前中にクズルテペまでウル・ジャミィを見に行く。ドルムシュは新市街を離れ、更に山を下って行く。平原までこんなに降りて行くとは、旧市街は標高何メートルの高さになるのだろう? 40分位で終点に到着。やけに埃っぽい町である。走行中、進行方向右手奥にミナレットが見えていたので、あれがウル・ジャミィだろうと見当をつけて歩き出した。勿論、町の人に尋ねて確認もしたよ。 アタトゥルク像のあるミニ公園(?)のところで右側の道へ。なかなかに雰囲気のあるジャミィに足を踏み入れるも、名前はイェニ・ジャミィとな。あり?素敵な建物なので写真を撮っていたら、おじさん達が興味をもって話しかけてきた。こちらも「これ幸い」とウル・ジャミィのことを尋ねる。もっと先にあるんだそうな。 道なりに進む。広い空き地が見えてきたと思ったら、その先には立派な建物が!どうやら現在は使用されていないみたいだ。周囲を柵で覆われているので、全体像の写真が撮りにくい。 扉を開けて敷地内に入る。再び少年達をぞろぞろ引き連れたガキ大将となって見学。全体的にシンプルで、文様は中国っぽい印象を受けた。1時間程度見学に費やしてから、一旦マルディンまで戻る。 昨日の続きで見学を再開。市場を抜けてウル・ジャミィへ行く。中庭でフィルムの入れ替えをしていたら、青年2人に話しかけられた。ここでは寒いので、ジャミィの中に入って暫くお喋り。1人は英語を片言話せる大学生。ジャミィ前の店で番をしていて、私を見かけてついて来たそうだ。おいおい…。 もう1人はトルコ語オンリー。しかしこのハッサン君、この後の見学全てにつき合ってくれたのだ。彼曰く「地元に住んでいても、こうゆう機会でもないと見て回ったりしない」そうなので、意外と楽しんでいる様子。 メイン通りであるビリンジ通りはともかく、一歩そこを外れると、降り積もった雪がカチカチに凍っているので注意が必要だ。凍りついた道の行き来は時間もかかる。予想外に歩き回ったので、カーシミーエ神学校に着く頃には肩まで痛くなってきたよ。でも頑張って、その先にあったジハンギールの墓も見学したのだった。 ハッサン君の家はこの近く。「妹の入れるチャイを飲んでいけ」と言うので、お礼も兼ねてお邪魔することに。ここで長居しすぎて、マル・ミハイル教会を見損なってしまった。しかし帰りがてら、夕陽に照らされてバラ色に染まった美しい町を見ることが出来てラッキーでした。 バスでホテル近くまで戻る。目をつけていた、何軒か先のパスターネ(パン&お菓子屋)へ行ったが客で一杯。店の中に入って順番を待っていたところ、椅子を用意してくれて「ここに座れ、チャイ飲んでけ」。お菓子までご馳走になった挙句、3つ選んだパイ等を無料にしてくれたのだ。お礼にここで広告しておきませう。[右の写真参照]でも皆様、ちゃんと買ってあげてね。(笑) ここの店員さんに「美味しい」と教えられて行ったのが、リド・ケバプサロヌ。「胃が小さいから小さいケバブをお願い!」と、私を知る人が聞いたら爆笑される台詞を吐いて2階の家族席へ。サラダも新鮮、お肉も美味しいんだ〜♪味付けがいいんだね。飲み物は勿論アイラン。旨くて旨くて、全部平らげてしまったよ。 ホテルへ戻ってお風呂と洗濯を済ませて、頂いたパイを食べる。お昼を抜いてるとは言え、よく食べますハイ。明日は移動日なのでガイドブックで確認しながらプランニング中に何度も停電。で、結局居眠り始めちゃってました。 | ホテルの喫茶室〜イイ雰囲気でしょ? ケバブ屋猫〜餌が豊富で太ってます 旧・新市街を巡回しているバス 郵便局〜ココも歴史ある建物です クズルテペ〜ウル・ジャミィ クズルテペ〜霊廟? サービス満点のパスターネ↑ |
部屋の外・中庭の風景→ |
マルディン滞在中にバス会社のオフィス探しもしていたのだが、ホテル近辺では見つけられなかった。朝の便は9時、10時発だろうと見当をつけてバス乗り場へ向かう。 ザファラン修道院へ向かう道をちょっと行ったところに何軒かオフィスがあったので巡回バスを降りた。1軒目のバスは12時発。がっかりした顔をしていると「隣へ行ってみな」。お隣のhabur turは10時半発。まだ1時間半もあるけど、しゃーない、それに乗ることにする。 出発して30分程でクズルテペ南の端、国道沿いのオトガルに到着。その後1時間程走ったヴィランシェヒル(たぶん)で大勢乗り込んで来た。再出発の後、やっとコロンヤのサービス。そしてパンケーキとコーラが出た。勿論これだけでは足りないので、昨日頂いたパンの残りを食べる。 時間通り14時前には、シャンルウルファのオトガル西側の幹線道路に停車。そこにはバス会社のスタッフ3名が来ていて、荷物の積み降ろしの手伝いをしている。仕事が済むとオフィスに戻るそうなので、彼らが乗って来た車で町の中心まで送ってもらった。 どんよりと黒っぽい雲が低く立ちこめたウルファの町は、排ガスで臭いのなんの!8年前の6月に来た時はここまで酷くなかったと記憶しているが…。単に暑さでもーろーとしていて気付かなかったのかな? ホテルは大通りから1歩奥に入ったところにあるHOTEL IPEK PALASにした。同じ様な設備と値段なら、静かな所があたしゃ好きさ♪ さて、観光観光。先ずは北の方にある考古学博物館へ。庭に置かれているヒッタイトライオンなどのレリーフが見事で、キャーキャー言いながらデジカメで撮りまくっていた。館内もこのレベルを期待して入ってみたら…なぬ、これだけ?!入場料相応のレベルでございました。 殊の外早く見終わってしまったので、明日に回すつもりだった南側の聖なる池公園なども見てしまうことにする。公園の周辺まできれいに整備されていて、お散歩するのに最適な環境。バックにそびえ建つシャンルウルファ城もイイカンジ。 しかしイブラヒム生誕地入口を見つけられなかったよ…。参拝客で溢れかえっているジャミィの敷地中にあるのでしょうか?雰囲気が雰囲気なので入れなかったのだ。 で、城塞目指して登ったものの、墓地に出てしまった。お城は隣の頂。「どうやって行くんだろ?」と眺めていると、近くを通りかかった地元のお姉さんが「閉ってるわよ」と教えてくれた。あやや〜何とも中途半端な観光になってしまったなぁ。 もう夕闇が迫る時間帯。ふもとまで降りて、ライトアップされた公園内を歩く。物売り少年たちも寄ってはくるが、そんなにしつこくない。ちょっと会話すれば満足して去って行く。 ここまで来たことだし、ハリル・イブラヒム・ソフラスで夕食をとることにした。雰囲気も家具も料理の味も○。しかし店員の態度がイマニ。愛想のいいボーイさんだったが、サービスがイマイチ。どうも今回は完璧なところに出会えないようです。 18時過ぎには外は真っ暗。閉めている店も多い。ざーっとホテル周辺を見て回った後、部屋に入ってウダウダしていたらスタッフがエアコンの電源を入れにきた。ノックした時に「くりまウンタラカンタラ」と言うので「クリームがどうした!」と思ったのだが、「クリマ」ってエアコンのことだったのね。 こうして次々にエアコンにスイッチが入ったせいか、停電に見舞われる。割と長かったな。丁度ベッドに腰掛けて歯を磨いていたので、長時間丁寧に磨けましたとさ。 あとは旅程変更計画にいそしむ。明日はガジアンテプまで出て、その日の夜行でコンヤへ行くことにした。 | オトガル〜東側はハランドルムシュなど近場行き オトガル〜西側は長距離バス用 考古学博物館〜怪しいライオン 考古学博物館〜ニケ?ヘソ出しスタイル 博物館近くにあった雰囲気あるジャミィ |
←部屋はこの通り狭いけど 右の写真の様にエアコン・テレビ付→ 夏のウルファには空調必須! この部屋は朝食・シャワー・トイレ付で 一泊 20,000,000TL シャワー・トイレ共同の部屋はもっと安い スタッフの感じも良し |
「ちょっと早まったなぁ」と思ったのが、いざ出発してから。18時にガジアンテプのオトガルを出発するCayiragasi(チャユラアス)のバスに乗りコンヤへ向かったのだが、どう考えても到着は明け方前なのだ。 午前3時ちょっと前に車掌さんに起こされる。計算通りだな。しかし、この会社のバスはコンヤのオトガルには入らなかったのだ。幹線道路の角でバスを降り、預けていた荷物を受け取る。「灯りのついてるあの建物がオトガルだよ」と、運ちゃんまで下車して親切に教えてくれるのは有り難かったが…、道が凍りついてるんですぅ!転倒に気を付けつつ、建物の灯りを目指して進むのであった。 オトガルはちょっと照明が暗め。ガジアンテプのそれの方が、ずっと新しくてきれいだった。おまけにすきま風と言うか、外気がそのまま伝わってくるような寒さ。それでも覚悟を決めた私は、ベンチ3つを確保して、上着にくるまり意地で眠る。うつらうつらではあるが、2時間程横になることが出来た。(コンヤのオトガルの名誉のために補足:地下にはシャワー室もあるし、トイレもきれいでちゃんと紙も備え付けてあります) だがその後、背中合わせに置いてあるベンチに座った姉ちゃんが、ずーと貧乏ゆすりを続ける。あまりのグラグラ度に寝ていられなくなった。起き上がって日記を書いたりしていたら、今度は隣りのベンチに別の貧乏ゆすり姉ちゃんが出現!はやってるんですか? 外がほんのり明るくなった7時半頃まで粘ってから、町の中心へ行くためにオトガルを出る。道端に停車していたドルムシュに乗る。寒い、寒いぞ〜!ちょっと歩いている間に温度計は0度を指していた。「あ〜あ、窓も曇っちゃって」。外を見ようと擦っても変わらない。よく見たら外側の水分が凍り付いているのでした。ひゃあ〜 日曜日だというのに、大学生や高校生が次から次へと乗って来る。日本のラッシュ並の混雑だ。寒くて雪深いので、皆目だし帽の様なスタイルなのだが、揃いも揃ってお洒落で小意気な雰囲気の子たちばかり。宗教都市だとばかり思っていたのに意外や意外。アラエッディン通りの中心へとやって来るのに30分程かかったけれど、マンウォッチングを楽しんでました。 さて、まずは宿探し。ホテルアンカラに行ったが呼んでも人が来ないし、鍵が全て出払っていたので満室なのだろう。さっさと見限り、道路を渡って反対側にある三つ星ホテルSahin(シャーヒン)へ。柔らかい物腰の、ほわ〜としたおじちゃんが応対してくれた。 部屋は広〜くてベランダ付。寒いから外には出なかったけどね。出されたお茶で、冷えた身体を暖めてから部屋に入る。荷物を観光バージョンにしてから出発だ。 まずはメヴラーナ博物館。メインだけあって、入場料もそれなりに高い。入口で「メルハバ」と挨拶したら、モンゴル系?ウィグル系?の職員・イブラヒムさんがつきっきりで館内を案内・説明してくれた。中はホントきれい♪ どの部分に金が使われているとか、棺にかけられたガゼルの皮カバーだとか、お祈り用絨毯に描かれた悪い蛇の話だとか。所々単語が分かる程度のトルコ語力しか持たぬ身でも、そんなことを聞き出せました。夏にイスタンブルのメブラーナ博物館で旋舞を鑑賞した後だったのも良かったかも。 博物館を後にして近辺のジャミィ巡り。しかし強度の方向音痴なもので、ゆるやかにカーブした道を進むと、思っていたのと違う所に行ってしまうことばかり。そのうち寒いのとお腹が空いたのとでもーろーとしてきた。 凍死を避けるために早めにお昼にする。ガラス張りで入りやすそうだったシファーにした。「小麦粉フリーク」にふさわしく、メニューは勿論コンヤピデ。飲み物はアイランさ。ここのアイランはミルクポットの様な入れ物で出され、塩味も効いていて、好みの味♪。ピデも上からバターをかけたにも関わらず、思っていたよりさっぱりしていて気に入った。 腹が満たされると動けるようになる。何ケ所かジャミィを経由してカラタイ博物館に到着。展示物より中庭に作られていた雪だるまおばさんが気になる。 丘を越え、遺跡やジャミィを見学しつつ反対側へ。装飾の美しさに目を奪われたのがインジェ・ミナーレ博物館。どんより曇り空なのが恨めしい!明るい空の下で細部までしっかり観察したかったよ。館内の展示物にも興味深いものがあり、お値段以上の満足感を得られたのだった。 そこからは、ちょっと歩いて考古学博物館へ向かう。道路は半雪半泥状態で歩きにくいの何のって。やっと博物館に着いてみれば、職員たちはお食事中。チケットを切ってもらった横のドアを開けて入って、展示室へ向かおうとしたら、阻止される。ここは事務室で展示室は奥の方の建物なのだそうだ。てへへ、失敗失敗。 平家建ての、敷地もそんなに広くない「こじんまり」したところなのだが、噂通り石棺のレリーフが素晴らしい!おまけに中庭に置かれている石棺には数多くのメドゥーサが彫られている。表情も様々なメドゥーサたちに大喜び。半ば雪に埋まりながら写真を撮りまくるのであった。 約6時間程で観光終了。ホテルへ戻って、午後の部の?スタッフ2人とチャイを飲みながらおしゃべりおしゃべり。しばらくそこで過ごしてから部屋に戻る。 寝不足のせいで、暖かいところに来ると強い睡魔が襲ってきた。一眠りしてから夕食に行こうと横になったのだが熟睡。気付けば夜半近くだ。もう寒い所に出て行く気力無し。熱ーいお湯のシャワーを浴びてから、日本から持ってきていた野菜チップスにて質素な夕食。もうひとつの名物料理フルン・ケバブを食べ損なっちゃったよ〜 朝のフロントは昨日と同じおじちゃんだ。「今日はメルシンまで行くんだけど、いいバス会社はある?」と質問すると、電話をして紹介してくれたのがEregli(エレーリ)というバス会社。10時発とのことで、慌てて出発の用意を済ませ、おじちゃんが停めてくれたドルムシュに乗ってオトガルへ向かう。今日は晴天で気温も上がっている。昨日よりずっと観光日和だ、くやしい〜! | コンヤのオトガル ハマム裏の公園にあった霊廟 カラタイ博物館の雪おばさん 丘の東側の遺跡・宮殿跡の一部らしい インジェ・ミナーレ博物館〜天使のレリーフ 考古学博物館〜石棺両脇にはメドゥサ有り コンヤのオトガル〜中央のバスに乗って出発 |
HOTEL SAHIN シャワー・トイレ付 一泊20,000,000TL こんな感じの朝食込である。→ スタッフたちも良かったっす。 |
カラマン経由で一気に南下してから東に向かうルートかと思ったら、会社の名前[Eregli]通り、本拠地エレーリを経由してアダナまで行ってから西に向かうコースだった。タウロス山脈は灰色の厚い雲に覆われて雨模様。風情はあるけれど、せっかくの絶景も拝めず終いだ。 このタウロス越えの途中、左の鼻が詰まった状態でいたら、耳は聞こえにくくなるし激痛に襲われてしまった。しばらくたったら治ったけれど。高速エレベーター並に急激に気圧が変化したってこと? アダナ着は15時頃。殆どの客はここで下車する。メルシンに到着したのはその1時間後。雨は更に強くなっていた。しかし有り難いことに、この会社は市内へのサービスバスが有る。助かった〜! 目星をつけていたホテルの名前を運ちゃんに伝えておいたので、近くの大通りで降ろしてもらった。後は町の人に道を尋ねながらホテルを目指す。外見はとても立派なホテル。部屋も広くてきれい。ソーラーシステムを利用しているので、お湯の温度が低いのはちと残念だったが。 部屋は最上階だったので眺めが非常にいい。見下ろすと、周囲は市場に囲まれていて買い物客らで賑わっている。釣られて散歩に出かけることにした。雨はほぼ止んでいる。ホテルを一歩出ると、ぷ〜んと漂う魚のかほり。あー海の近くに来たんだな、と思う瞬間である。 香辛料を扱うお店が多いかな。乾燥野菜やハマム用たわし等が沢山軒先に吊るしてある。その他にも色々な品物が置いてあって、持病の「食料品買いたい病」を押さえるのが大変だった。 お腹も空いてきたことだし、来る途中で見かけた魚料理を出すロカンタ街へ。手前の店のショーケースは魚のみ。隣の店にはイカとエビがあったのと、客も入っているのでここに決定。イカとエビはカルシュック(混ぜて盛り合わせ)で、鯛の一種を一尾。全て空揚げでお願いする。レモンと塩で味付けしただけなのに、食が進む〜♪いやぁ満足満足。 ニコニコしながら違う道を通ってホテルへ戻る途中で、見つけてしまった焼き栗。「さっきの食事で満足したんじゃなかったんかいっ」という鋭い突っ込みの声も聞こえたが、誘惑に負けて小袋で購入。鉄板から直に取り上げた、熱々のや・き・ぐ・り♪更に足取り軽くホテルに帰還するのであった。 味は天津甘栗には及ばないものの、充分満足出来る質と量。部屋のテレビで「イスタンブル攻略戦アニメ」や「ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔特集」などを観ながら、1時間以上かけて食べていた。 翌日、天気予報は嬉しい方へ大ハズレ。見事な青空が広がっている。朝食を済ませると、アタテュルク公園に立つエルトゥールル号遭難慰霊碑を見に行った。上着を脱いでいったのに、歩いていると汗ばむくらいだ。 慰霊碑を見学していると側を通る人の話し声が聞こえる。「何で日本人がここにいるんだ」「何やってるんだ」と。だーかーらー、エルトゥールル号は和歌山県沖で沈没したんだって。串本とも姉妹都市でしょーが。 行きと違う道を帰ろうとしたら、案の定迷子になる。最近同じ所をグルグル回る傾向があるな、ワシ。お店で道をきいて、やっとホテルへ到着。あづいあづい。 チェックアウトの時にオトガル行のバスのことを教えてもらってから出発した。南にある大通りまで出ると、赤い車体のドルムシュが停まっている。それがオトガル方面へ行く。バスはメルシン鉄道駅を経由して東進。オトガル横の道で降ろしてもらった。この周辺にもホテルが何軒かある。 | 雨にけぶるタウロス山脈 ホテルからの風景〜道の先は地中海 エルトゥールル号遭難慰霊碑 |
HOTEL GOKHAN ←広い部屋・調度品もなかなかに良し エアコン・テレビ付 窓からの眺めも気持ちいい 朝食・シャワー・トイレ付で 一泊 25,000,000TL 総支配人さん自ら受付・案内をこなす |
メルシンのオトガルの、ミニバスが停車している方の入口へ進む。お、向こうからタルスス行のバスが来る。よーく目をこらして会社名を見るとTOKだった。この会社のバスは町中まで行くのだそうだ。らっき〜♪ 大きい荷物は預けて乗り込む。ほぼ満席状態だ。昨日メルシンへ向かうバスの中で見たタルススの郊外は雨でぬかるんで泥だらけだったのだが、果たして今日の具合はどうであろう? 30分程度でタルススの町へ入る。クレオパトラの門を過ぎメイン通りを進む。エスキ・ジャミィ近くで右折。城壁跡の様な一角がバスの溜り場になっていた。 大きな荷物を担いで道路の反対側へ出ようとしたところで、じーちゃんに話しかけられた。「遺跡どこ?」と聞くと、そのじーちゃん、人の手握って張り切って駆け出した。まてまてまて!荷物が重いんだよ〜。 おまけに車が切れるのを待つ間には指を絡めて「お手てつないで」しようとする。そんなこんなで、引きづられるままに聖パウロ教会に到着していた。やれやれと思った私の目の前に帽子を差し出し「頂戴」ポーズするじーちゃん。持っていた中で一番少額のコインを渡したが、さんざ人の手(この際歳は不問のこと)握ってたんだから、こっちの方がチップ欲しいぞ。 教会内に入るには入場料が必要だ。細かいお札を切らしていたら、半額の学生料金でチケットを切ってくれた。内部はいたってシンプル。所々にフレスコ画が残っている。鍵を開けてくれた管理人のおじさんによると、カトリック教会とのこと。また、タルススの本があったので購入した。地図入りだったのだが、どう見ても教会等の位置がおかしいんですけどぉ。 お腹も空いてきたお昼時、地元のおいちゃん達で賑わう小さめのロカンタへ。トマト多めのギュヴェッチを頼む。今回の旅では初めて、つけ合わせにプチ唐辛子の酢漬けが出た。これ、辛いんだけども、さっぱりするのでお気に入りなのだ。おまけにチャイまで飲んでも1ドル未満。お値段にも味にも満足満足。 戻りがてら幾つかのジャミィを見学する。タルススは、あちらこちらに歴史的な遺物が見られる。しかし正確な位置が分からなかったのと、荷物を担いでの見学だったため思う様に動き回れず、その殆どを見学出来なかったのが残念だ。見やすい地図があれば良いのになぁ〜と思う。 バスの発着場まで戻ると、丁度アダナ行が出るところ。満席だったが、すぐ降りるというおじさんが席を譲ってくれた。こういう点、トルコの人は優しいんである。有り難く座った席で隣り合わせた青年は、何と日本語を勉強中とのこと。彼の降りる町まで、トルコ語・日本語・英語のちゃんぽんで会話練習していました。 アダナのオトガルに到着後、ガジアンテプ行のバスを探す。ここでも親切なおじさんがAgri dagi (アールダー)というバス会社のチケットオフィスへ案内してくれた。出発は13時半。ガジアンテプではサービスバスも有るという。このルート、特に山がちになるオスマニエからガジアンテプにかけても、雄大な景色が楽しめますぞ。 | 城壁?の跡〜この奥左手にバスが停車している エスキ・ジャミィの方角から1枚 ●古代の道 5,6メートルの幅を持つ。石を敷き詰め舗装されており、下水道施設も完備されていた。 ●エスキ・ジャミィ 教会からモスクへと変えられた。詳細は不明だが、その建築様式から9ないしは10世紀のものと考えられている。 ●聖パウロ教会 18世紀初頭に建設される。イエスとヨハネ、マタイ、マルコ等が描かれたフレスコ画が残っている。 ●聖パウロの井戸 パウロはタルススで生まれた。古代の道の約200メートル北西に位置する。井戸周辺は遺跡公園の様になっている。 ●クレオパトラの門 ビザンティン時代の6世紀に建てられたと思われる。 ●7人の眠れる男たちの洞窟 町の西にある洞窟で。7人の男たちと1匹の犬が、迫害からのがれるためにそこで309年間も眠っていたという伝説が残る。 その他、ローマ神殿跡・ローマ浴場跡などがある。 「Berdan foundation for the protection of historical and cultural treasures」より |
シャンルウルファからガジンアンテプまでは2時間強かかった。重く立ちこめた雪雲はずっと変わらず、寒い! オトガル前でバスを降り、建物の中にあるエマネト(荷物預かり所)へ大きなカバンを預けてしまう。食事を取って身体を温めてから出発だ。 入口付近にいたお巡りさんに町へ行くドルムシュを教えてもらって乗り込む。運賃が高いなぁ〜と思っていたら、目的の考古学博物館前に着くまで30分程度かかったのだった。持っていた地図はどうやら古かったらしい。 14時頃に博物館前に到着。ここも小さい博物館なのだが、ベルキス(ゼウグマ)からの出土品が非常に素晴らしい!モザイクなどの美しさは感動ものだ。そのためついつい、じっくりゆっくり観て回る。また、ネムルート山にある石像のミニサイズのものもあった。 博物館の見学を終え一旦駅へ向かう。いい列車があれば、夜行でコンヤへ向かおうと考えていた。旅行日程を変更したため、トルコ国鉄のサイトをチェックをしていなかったのだ。 しかし駅舎のドアは鍵がかかっている。窓から覗いていたら、通りかかった少年が2階の詰め所に案内してくれた。そこで尋ねてみたところ、コンヤ方面に行く列車はないのだそうだ。あう、残念。 では城塞の見学でもしようかと、南へ向けて歩き出した。するとさっきの少年が道案内を買って出たので任せる。 ここの城塞はビザンティン時代のユスティニアヌス皇帝が建てたもの。その後セルジューク時代に再建されたそうだ。高い所から見下ろすと、町の様子がよく分かる。内部は雪が厚く積もっていて、何があるのか分からなかったが、なかなかに興味深い造り。無料なので機会があったら登ってみてはいかがでしょうか。 本日の見学はこれにて終了。オトガル行のバスで一緒になった運転手のおじさんが働く会社Cayiragasi(チャユラアス)のバスを勧められ、そこに決めた。出発は18時である。[コンヤの項へ続く] アダナを発ったバスは17時過ぎにガジアンテプのオトガルに到着した。町へ行くサービスバスに乗り込み、この前チェックしておいたホテルの名前を告げる。イスタシオン通りに建つスタジアムのすぐ近くだ。一泊15ドルもしないのに、部屋にはバスタブ付のあったかバスルーム有り。嬉しい。 18時過ぎに夕食をとりに外へ出る。色々歩き回っていたら、ガイドブックに載っていたロカンタを見つけた。好物のパチャが人気の店だという。確かに、でっかい鍋でグツグツ煮られている、それらしきブツ。 「これパチャ?」と尋ねる。おじさん頷いたかと思うと、大きな天秤皿もどきに赤唐辛子を山盛りにした。そりゃあもう、大変な量。辛いもの好きな私でも「どうするつもり!?」と怖じ気づく。すると大鍋のパチャをそこに加え、バーナーに点火して温め出した。な〜る!こうやって作るんだ。 大晦日スペシャルとして、マイルド系の料理をもう半皿頼んで席に座る。只でさえ身体が温まるパチャなのに、大量の唐辛子が加わってりゃどうなるかは、ご想像の通り。大汗かきながら食べておりました。 食事を終え、お土産を探しながらホテルへ向かう。ここガジアンテプはバクラバとピスタチオが有名。老舗で夜食用の「すぺっしゃる」バクラバと、お土産用のピスタチオ入りお菓子を。繁盛している乾物屋さんで一番質のいいピスタチオを買い出す。 明日正月はトルコでも休日で、また夕方にはイスタンブルへ戻る予定なので、映画でも観てノンビリ過ごそうと考えていた。大通りからちょっと入ったところに「なんとかシネマ」という看板が見えたので近づいて行ったところ、何やら怪しい雰囲気。すると入口付近にいた兄ちゃんの1人が慌ててやって来て、手ぶり身ぶりで止めようとする。あ…「大人の」映画館なんでした。ははは。「映画館はあっち、あっち」と反対側を指差して教えてくれた。 「Cinema Club & Bowling」というのがそれ。窓口でチラシをもらい、開演時間を教えてもらった。さすがに正月なので11時からのはなく、14時45分が初回上映となるそうだ。う〜ん、中途半端な時間帯だ。 ホテルへ戻り、歌番組兼宝くじ抽選会をやっている番組をみながら新年を迎える。外では花火をあげたり、車がクラクションを鳴らしながら走っていて、そこそこに賑やかだ。 朝はダラダラと過ごす。朝食に行ってみたら、メニューも豊富で嬉しい。また、宿泊客が意外にも多かった。 10時半過ぎにチェックアウト。大きな荷物をフロントに預けて外に出た。まずはハワシュ(空港バス)が発着する、トルコ航空オフィスまでの所要時間を計っておく。ホテル〜広場〜オフィスと、それぞれ約10分程度か。 オフィスは閉っていて、バスの発車日時が書かれた紙が貼ってある。それによるとイスタンブル行は18時5分発。やはり映画は全部見られないや。 後はモスク見学と商店街を冷やかして回った。お昼を済ませてから、映画のチケットを買うため列に並ぶ。映画なんぞを観られるのは、やはり豊かな層らしい。物売りの子どもたちが数多くいた。夏に少しご一緒したお姉さんもそうだったが、列に並ぶ人も子どもたちから買ってあげている。やはりザカート(喜捨)の精神なんだろうな。 自分の番が来て、昨夜もらったチラシを指差し「この回1枚」とお金を出したら、学生料金のチケットを切ってくれた。ま、途中退場しなくちゃいけないからいいかな??? 外は余りにも寒いので、一旦ホテルへ逃げ込み、ロビーでチャイを飲んだりして過ごす。テレビではケマル・スナルのシリアス映画をやっていたな。 さて、14時を過ぎた頃、大きい荷物も抱えて映画館へ。懐中電灯を持った案内係が席まで案内してくれた。横一列ずら〜と並んでいるので、内側の席の人は出るのが大変そう。なので途中休憩(そうなんです、途中でぶち切られて休憩があるのだ)の時に階段の端に荷物と上着を避難させておく。映画のクライマックスにさしかかったところで時間切れ。後ろ髪を引かれながら外へ出る。 トルコ航空オフィスは開いていた。まだバスの姿はない。中に入ると、カウンターにいる係員が呼ぶので行ってみると「今日のイスタンブル行のフライトは欠航になりました」って、え〜!?知らない単語だったが、どうも天候のせいらしい。 「明日の便で日本へ帰るんだよ〜!」と責めると、カウンターの兄ちゃんは時刻表を確認。「ガジアンテプからイスタンブルまでバスで15時間かかりますが、日本行の飛行機は16時半なので充分間に合います」とのたまう。そーゆー問題ぢゃないの! さすがに慌てていたので「今晩のホテルも予約してるのに〜」とぐだぐだ文句を言っていたが、フライト自体が無いのなら、バスで戻るしか方法はない。さっさと気持ちを切り替え、まずはオトガルへ向かう。うまくすれば18時半発のバスに乗れるかもしれない。 | 考古学博物館〜入口のスフィンクス? 考古学博物館〜モザイクのひとつ 考古学博物館〜目付きが怪しい鳥のモザイク ガジアンテプ鉄道駅 KAMIKAZEってどんな乗り物? ガジアンテプ城入口の門 ガジアンテプ城〜ホテルの部屋から 突然ですが「海から見たイスタ旧市街」 |
HOTEL KATAN ←ベッドの足元の方にテレビ有り。 オイルヒーティングで部屋はあったか♪ 世話好き[つまりおせっかいか…(笑)]なスタッフがいる。 何だかんだとチャイのサービスをしてくれるのだ。 朝食・バス・トイレ付で 一泊 23,500,000TL 格調高いです。 |
■イスタンブルまで タクシーがガジアンテプのオトガルに到着したのが18時20分。建物の中に入っていると、客引きにつかまる可能性が高い。なので外側を迂回して、バスの発着所へ直接足を運んだ。 エンジンがかかっているバスを発見。コンヤへ行った時に使ったCayiragasi(チャユラアス)という会社のバスだ。型も新しい。行き先を確認すると、イスタンブルだった。よっしゃー! 中にいた車掌のお姉さんに「これイスタンブル行よね?すぐ出る?」と尋ねると「30分発よ」。おーし!出発されてはかなわんので「チケットまだ買ってないけど、これに乗りたい」と騒ぐと、係員のおじさまがチケットオフィスまで案内してくれた。もう出発間際なせいか、手書きのチケットだ。おまけにトイレに行ってる時間もない。 「たぶん3、4時間後にアダナあたりで休憩があるだろう」と思っていたら、このバスは「Express Istanbul」。どこのオトガルにも寄らず、ひたすらイスタを目指して突き進むのだった。 22時過ぎにエレーリ近くのサービスエリアで最初の休憩をした後は、5時前にギョクデミルまでノンストップ。おかげで8時にはイスタンブル、アジア側のハーレム・ガラジュに到着した。早いぞ早いぞ。渋滞で遅くなるのを避け、ここで下車して船でエミノニュに渡る。そこからはタクシーでホテルまで。 ■ホテル到着 フロントのお姉ちゃんに予約の紙を見せて「予約をしていたんだけど、飛行機が飛ばなくなっちゃって、今バスで到着したの。昼まで部屋を使える?」と尋ねる。確かに予約はキャンセルされていなくてOK。9時前に部屋に入れたよ。 広いベッドに落ち着いた雰囲気の家具、バスルームもキレイ。案内してくれたボーイさんに「今日の夕方の便で日本へ帰るんだよ」と伝えると吹き出してました…。 荷物を置いたら、まずは朝食。うおっ!ベスト・オブ・朝食賞。料理の種類と量が豊富だ。ティーバッグだが、好きなお茶が選べるなんてトルコじゃ初めて。オレンジジュースは生絞りだし、ボレッキも有る。昨日の夜からロクなものを口にしていないこともあって、ガツガツ食べておりました。 部屋に戻ったら、何より先にお風呂。相当疲れているらしく、湯舟につかっていると左足の指がつってしまうのだ。 さっぱりしてから、粗方荷造りを済ませベッドに身を投げ出す。あー、この広いベッドでぐっすり寝たかったよ〜!しかし、ここで寝込んだら飛行機に降り遅れるのは必至。懸命に眠気と戦う。 ■ちょっとだけ街歩き 急な出費でお金が足りなくなったので、昼前に両替も兼ねてちょっとお散歩に出てみる。霧雨が降る暗い空だ。イスティックラール通りをブラブラ歩き、ガラタ・サライ高校辺りでUターン。お腹をこわしていたため、夏には行けなかったHalaで好物のマントゥを食す。これでトルコ食の食い納めだ。 ■帰宅まで 13時過ぎ(この時間まで使わせてくれたのだ)にホテルをチェックアウト。慌ただしい客で失礼いたした。もう楽をすることに決めたので、タクシーを呼んでもらって空港に行く。それからはアクシデントも起こらず日本へ到着した。 自宅に電話してみたら、雪が降っているそうな。もうさぶいのは勘弁して下さい〜!成田で少し待機して、最寄り駅近くまで行くリムジンバスに乗る。電車を利用するより楽なのだが、正月三が日で合計30時間近くも座席に座りっぱなし。お尻と腰が痛い旅の締めでございました。 |
CIHANGIR HOTEL この↑サイトを見てネットから予約した場合、空港からの片道交通費をホテルが負担してくれる。 また、豪華な朝食も付いていて、正月料金・シングル45ドル タキシム広場から近く、街歩きに便利。一歩引っ込んだ所にある隠れ家的雰囲気で、周囲も静かだ。品があって、気に入ってしまった。もっと長く滞在したかったよ〜 |
■旅のお小遣い帳 | ||
チップ | 1$ | |
宿泊費(送迎付) 昼食(煮込み料理半々1皿とライス) 夕食(ラフマジュンとメルジメッキチョルバス) タクシー代 (ディヤルバクル→ハッサンケイフ) チップ 本代 電話代(リコンファーム) | 60$ | |
宿泊費 朝食(メルジメッキチョルバス) 昼食(ラフマジュンとイェディギュン缶1本) ミネラルウォーター(小) バス代(ハッサンケイフ〜ミディヤット往復) タクシー代(ミディヤット〜マルガブリエル往復) | 10,000,000TL | |
宿泊費 朝食(メルジメッキチョルバス) 昼食(ピデ) 夕食(少なめメゼ3皿とスペッシャル!ケバブ) バス代(ハッサンケイフ→ミディヤット) バス代(ミディヤット→マルディン) タクシー代(マルディン〜ザファラン修道院往復) バス代(マルディン市内循環) 絵はがき | 10,000,000TL | |
宿泊費(朝食込) 夕食(シシケバブとアイラン) バス代(マルディン〜クズルテペ往復) | 40,000,000TL | |
宿泊費(朝食込) 夕食(今日のスープとクシュバシュ風フライ) バス代(マルディン市内循環) バス代(マルディン→ウルファ) 考古学博物館入場料 | 40,000,000TL | |
宿泊費(朝食込) 昼食(チョルバとチキンの煮込み) 夕食用(パン類と飲み物) バス代(シャンルウルファ市内循環) バス代(ウルファ→ガジアンテプ) バス代(オトガル〜市内往復) バス代(ガジアンテプ→コンヤ) 考古学博物館入場料 トイレチップ(5回) 荷物預け(ガジアンテプ・オトガル) | 20,000,000TL | |
昼食(メヴラーナピデとアイラン) バス代(オトガル→コンヤ市内) メヴラーナ博物館入場料 カラタイ博物館入場料 インジェ・ミナーレ博物館入場料 考古学博物館入場料 | 2,500,000TL | |
宿泊費(朝食込) 昼食(トーストとケマルパシャ) 夕食(イカとエビのフライ1皿と鯛のフライとビシュネスユ) 焼き栗(小袋) バス代(コンヤ市内→オトガル) バス代(コンヤ→メルシン) トイレチップ(2回) | 20,000,000TL | |
宿泊費(朝食込) 昼食(ギュヴェッチ) 夕食(パチャとクリームシチュー風半分) バス代(メルシン市内→オトガル) バス代(メルシン→タルスス) バス代(タルスス→アダナ) バス代(アダナ→ガジアンテプ) 聖パウロ教会入場料(学生料金…) じーちゃんチップ ガイドブック代 トイレチップ お土産類(ピスタチオとバクラヴァ類) | 25,000,000TL | |
宿泊費(朝食込) 昼食(ケバブのユフカ巻とアイラン) 夕食(トースト) タクシー代(THYオフィス→オトガル) バス代(ガジアンテプ→イスタンブル) 映画館入場料(学生料金…) トイレチップ | 23,500,000TL | |
宿泊費(朝食込) 昼食(マントゥ) 船代(ハーレム→エミノニュ) タクシー代(エミノニュ→ホテル チップ込) タクシー代(ホテル→空港 チップ込) トイレチップ チップ お土産類 〃 (通販やカードにて) | 45$ | |
■宿泊費 滞在費 計 | 105$ 157$ ¥9,657 518,100,000TL ¥163,730 ¥5,660 |
作成日:2003/01/19 最終更新日:2003/03/31 Copyright(c)1997-2016 CAYHANE ELMA All right reserved. This website is written in Japanese(Shift_JIS). |