> 林檎通信 >> 2003.09イエメン旅行記 | |
◆首都サナア | |
エミレーツ航空にて、朝9時頃サナア着。気温は20度を越える位だ。飛行機はガラ空きだったから並んでる人間は少ないのに、あれこれ係員同士で喋っているため入国審査に30分以上かかる。でも中近東にしては早い方か…。 一旦ホテルの部屋に荷物を置いてから観光開始。30分程度かけて郊外のワディ・ダールへ。結婚式3日目を祝うジャンビア・ダンスが見られるとのこと。町の人も会場に詰め掛けた人々も、日本にいる時にイメージしていたのと違って、目付きは全然悪くない。むしろ素朴な感じ。 しばらくして新郎の兄ちゃん2人登場。かっくいーんだこれが!後で知ったのだが、両人とも原理主義者で異教徒の女性と写真を撮るのを嫌がったそうだが、後で写真を見てみたら笑顔で一緒に写っていたぞ。参列者の子供たちから手なずけて「仲良し」したのが良かったのかも。←おい! 暑い時間帯を避け、夕方になってから旧市街を見に行く。子供たちが大騒ぎで集まってくるので、説明が聞き取りにくいは歩きにくいは…。こんな騒ぎに会うのは実に久し振りだ。しかし余りに羽目を外す子がいたら、周囲の大人がちゃんと注意している。流石である。 サナアは現存する世界最古の都市のひとつ。ノアの箱船が郊外のヌクム山に漂着し、ノアの息子の1人サームがこの地に降り立ちサナアを作ったと言われている。 「最古の摩天楼」と称されるこの高層住宅は、町の周囲10km四方に広がる岩山から採掘された玄武岩や、日干しレンガ等を20〜50メートルの高さに積み上げて作られている。先祖代々住み続けた住宅の歴史は、数百年から一千年にまで遡れるという。 ホテルの屋上から世界遺産にも指定されている町並を堪能した後、見どころの一つ大モスク(アル・ジャミ・アル・カビル・モスク)へ。630年に預言者ムハンマドの命で建立された、イエメン最古のモスクとされている。歴代ザイド派イマームの宗教的拠点でもある。 | 高台にあった式会場から降りて来る。今度はロック・パレスだ。シーア派の一派ザイド朝[897-1962]のイマーム・ヤヒヤの夏の別荘だったところ。乾燥していて日射しも強いので、こちらも埃がすごい。 旧市街を囲む城壁には、かつて5つの門があったという。1960年代、共和国政府が成立すると都市の再開発に乗り出した。そのあおりを受けて城壁の一部も取り壊されてしまう。ただ一つ残された城門がイエメン門だ。 町の中心タハリール広場の北にある国立博物館。せっかくの素晴らしい展示物も改装中のため見られず。代わりに一部の展示品が置かれているという軍事博物館へ。 ここは広場の南西角にあり、オスマン帝国時代にメドレセ(神学校)だった。その後兵舎として使用されたのちに博物館となったそうだ。 ここでのお気に入り:ギリシア文化の影響を受けた翼のある太陽神レリーフ♪(←只の太陽神マニア?) |
◆サナアの北 シバム コーカバン トゥーラ | |
まず、近郊の町ドラのスークを見学。ここは良質のカートの産地だそうだ。周囲の緑はほぼカート畑。 半月刀ジャンビアと並び、イエメンを語る上で「カート」は欠かせない。人々は午後になると、仲間達と集まって茜科の植物の葉であるカートを噛み噛みしながらお喋りを楽しむという。 噛みカスは片方の頬の内側に溜め続けるので、傍から見ると「おたふく風邪?ハムスター?冬眠前のリス?」といった感じでやたら可愛い。(膨らましている側の斜後ろから見るのがポイント)でもこれ、お隣のサウジでは持っているだけでも死刑だそうですぞ。 この町では銃器の取り扱いも多かった。カラシニコフ、持たせてもらいました。重かった…。 ざっと景色を見た後、昔の道を途中まで降りてみる。下るのはいいが、登るのは非常ーに辛い。ここで「空気が薄い」ことを実感した。 コーカバンとは「ふたつの惑星」という意味。昔、隊商たちが迷わぬようにと、太陽と月の光を反射する大きな鏡2つを灯台として利用していたことから付いた名だそうだ。 | 門をくぐって旧市街へ。モスクや、民家の中を見学させてもらった。 下の町シバムから見た上の町コーカバン ここも緩やかな坂道を歩いて進むのだが、空気が薄くて辛い。こっちは苦しくてハーハー言ってるのに、集まってきた子どもらがアレコレ話しかけてくる。返事すんのもキツイんだよぉ〜 町中を案内してくれた少女のおウチに招かれ、お茶をいただく。酸素が足らない所では水分は貴重。すーと楽になりやした。左はそのおウチの台所。実にシンプル。 |
◆サナアの西 マナハ ハジャラ ホデイダ ベイト・アル・ファキーフ ザビード | |
バスはひたすら山道を登って行く。アラビア半島の最高峰ナビ・シュワイブ山を見たが、周囲の標高自体が高いので、説明されないと「ただの丘」レベル。富士山より100m程低いだけの山なのに、さみしい。 マトナ峠を越え一気に標高2700m→1700mと下り、ヘイマ地域に入る。周辺はモカ・マタリの産地。コーヒー畑を見学した。 また一山越えて…というところで左折。マナハの町だ。この町から先は未舗装道路で、人頭大の岩がゴロゴロしていて進むのに時間がかかる。 18時半にホデイダのホテル着。周囲はかなり暗くなっているのに「もわっ」とした空気に包まれた。部屋も外気の影響で蒸し暑い。クーラーに、天井の扇風機をフル回転。でも暑かった…。 翌朝、8時前だと言うのに気温は既に36度。人が溢れる魚市場では汗ダラダラ。こんなトコで商いしていて、魚痛みませんかぁ? 以後、写真を撮るより水分を取る方に力を入れ過ぎて、殆ど写真が撮れなかった。中世南アラビアにおける学問の中心都市だったところなのに〜。 観光終了後、入口のレストハウスで昼食。暑さでゲンナリしていたのに、出された料理を見たら俄然食欲が出てきた。締めは殻コーヒー。「生姜コーヒー」といった味だ。 | 玄武岩で出来た建物に白縁の窓枠。これは魔よけの意味があるのだそうだ。崖近くに建っている家は、かつてユダヤ人が住んでいたとのこと。 マナハのホテルで昼食後ジャンビアダンスを見る。かっくいいーぜぃ!脳天にまで響く太鼓の音を記録したくてビデオ撮りしたが、再現すると迫力20%…残念。 今回はティハマ織を見た。そこで織られたものを買うことが出来る。 更に南下したところで、ティハマ人のお宅訪問。「ティハマ」とは「暑いところ」という意味。既に頭がクラクラするほど暑い!しかし家の中は風が通るよう工夫がされているので、確かに涼しいのだ。暮らしの知恵だねぇ。 部屋で寝ていた赤ちゃん、20人もの外国人が入って来たのにピクリともせず寝続けている。将来は大物になるであろう。 モカへの往路で怪しかった空模様。帰路ではついに雷雨となる。雷雨は古代南アラビアの最高神アッタールがもたらす恵みの雨だという。 見渡す限り広がる空と大地。それを切り裂く稲妻の迫力ったらスゴイんである。自然(古代の神々)の力を存分に見せつけられたような気分になった。 |
◆サナアの南 タイズ イッブ ジブラ アデン | |
タイズの町のスークは夕方から盛り上がるそうな。ムーサ門から入り鍛冶屋を見る。衣服、スパイス、銀のお店を順に巡り、所々で買い物をした。 途中で食べさせてもらったタイズ名物のチーズは旨い!塩辛くて、ちょっとスモークっぽいお味だ。 翌朝は市内観光。まず城塞(カヒーラ)。歴代の王の居城だったらしい。現在はラマダン時に時刻を知らせる空砲を撃つ場所でもある。 お次にラス−ル王朝[1228-1454]のアシュラフ一世、アシュラフ二世により建設されたアシュラフェイヤ・モスク。ここには彼らと家族の墓がある。門の装飾に使われていた象牙が一部残っていた。 このモスクのミナレットは真っ白で大変印象的だ。高台から市内を見下ろした時も、よく目立っていた。 元北イエメンにはシーア派が、南にはスンニ派が多い。ザイイド派はシーア派の一派。そのイマーム・ヤヒヤの後継者アハマドが住んでいた[1948-1962]宮殿も、今や国立博物館となって一般に公開されている。 彼女の廟があるアルワ・モスクを見学した後、スークを通って宮殿跡へ。小学校低学年らしき女の子が一生懸命ぷち花束を売ろうと付いてくるので、根負けしてトゥーラでもらった腕輪とバジルを交換。逆わらしべ長者になってもうた。 アデンへ向かう道で今日も雷雨にあう。パトカー3台がリレー形式で先導してくれたおかげで、思っていたより遅くならずに到着出来た。 | 観光を終えた頃、何やら音楽が流れ出て来る建物あり。なんと結婚式だそうだ。花嫁のご家庭なので、女性メンバーのみで見学。室内には「飾り立てたクイズ番組の回答者席」のような椅子がしつらえられていた。これが花嫁の席とのこと。しばらくして登場した17歳の花嫁さんは、インド風のエキゾチックな美人さんでした♪ アデン門跡を見てから、ヒムヤール王国時代の貯水タンクへ。紀元前1世紀に作られたものだ。「ここに水が一杯になると災害が起こる」と言われているそうだが、気付いた頃では遅いんではないでしょうか? バックの山の上には、ゾロアスター教の鳥葬の場・沈黙の塔がある。 聖アイダルース・モスクには1509年に亡くなった、イスラム神秘主義者アイダルースの廟がある。アイダルース教団が1859年に再建したそうだ。ここの土を持ち帰ると願いが叶うとか。 アデン博物館はラーヒジュ王朝の元王宮。1階の考古学セクションでは館長さん自ら説明をしてくれた。展示物で興味深かったのは、こちら独特の人物像とか牡牛の像、香炉。シバ王国文化の影響を色濃く写し出している。2階は民俗学セクション。 ランボーハウスを遠巻きに眺めて(デジカメで1枚撮って涼しいバスに避難)から、スークの香木屋で物色。ブレンド香木を購入したのだが、何やらカブト虫の幼虫が出てきそうな雰囲気。でも香りはいいよ! この日、ホテルのレセプションの兄ちゃんに「これお願いします」と切手を貼った絵ハガキを渡しておいた。しかし到着したハガキには、10日以上後のスタンプが押してあったそうな。兄ちゃん、出すの忘れてたんかい? |
◆サナアの東 ムカッラ ハジャレイン サイユーン タリム シバム | |
ちなみにイエメン航空は自由席だった。機内サービスは国内線の割に充実。アラブ首長国連邦産ココナツビスケットとテトラパックのジュースのセットが配られた後、水や紅茶のサービスまであった。 ムカッラでは、ビンラディン一族経営のホテルに泊まる。夕食後、数名でプライベートビーチを散歩中に、砂浜に点々と続く三角山に気付く。側には必ず深〜い穴が開いている。「何何何???」 すると…何か小さなモノがさささっと通り過ぎて穴に入ろうとしている。持っていったライトを照射!小さな「蟹」だ。サワガニサイズの白っぽい奴。海側を照らしてみると、今度はもっと大きい奴もささささ動いている。プライベートビーチに蟹がわんさか…素敵すぎるぜ。 翌朝は、町に入ってスークを歩く。ゲームしているおじちゃん達を冷やかし、没薬屋台に「おおっ」となる。日が射してないせいか、余計湿気を感じた。 町に到着。19世紀にアル・カフ一族が建てた宮殿を見た。ステンドグラスがきれい。天井の鏡にも注目! 強い日射しの中、この町最古のモスクであるアル・ムフダル・モスクを外から眺める。高〜い白〜いミナレットが青い空に映えていた。 上の民俗学セクションに飾られた1930-40年代の白黒写真が実にいい!人々の表情もさることながら、当時はゴミも少なく(ビニールや缶ゴミが無かった為なのでは?)やたら景色がきれいなのだ。 窓から見る町の風景もまた良し。バックにある岩山はアイユーブ山、もといヨブ山なのだそうだ。 館内の売店でハガキ等を買い出し。それからスークへ。ぷちジャンビアブローチが人気の的だった。 夕方の便でサナアへ戻る。この時の機内サービスもアデン→ムカッラ間とほぼ同じ。 | ここは蜂蜜で有名なところ。一番おいしいのが「エルブ」というトゲトゲの大きい木なのだそうだ。買わなかったけど味見はしたよ。黒蜜っぽいお味。皆に「試しなめ」させてくれたけど、それ、そのまま売るんでせうか??? タリム観光後、ホテルでシエスタしてから再度シバムに出発。まず5階建てのおウチを見学した。 ここはプライバシー保護のために隣と同じ程度の高さに建物を建てるので、最上階のベランダから見ても見晴しが良くない。裏にはアッバース朝時代のカリフの名が付いたハルーン・モスクがあった。 それから歩いて「伝統の家博物館」へ。ここへ来る道中で、バシバシ建物の写真を撮っていてフィルムが足りなくなる自分…。仕方ない、デジカメに頼る。 各階を見学しながら登る。上の階でお茶休憩してから新市街の裏山へ。今度は夕陽だい。 朝と同じポジションを確保するも、雲が多くて「いつ日の入り?」って感じ。アザーンが何ケ所からか聞こえてきてるので、たぶん今がそうなのであろうが。 日の入りが分からないまま、町は紺色に染まっていくのだった。朝、見ておいて良かったー! |
◆イエメン料理 向こうでこんなの食べてきました | |
(左上)蒸し暑〜いザビードでの昼食。昔からインドとの交易が盛んなため、カレー風の味付け料理がよく出た。そんなに「辛いー!」という程でもなく、気候に合ってるかな?って感じ。煮込み野菜が沢山食べられるので、当初心配していたビタミン不足は防げたと思う。オクラカレーがお気に入り♪ここでは「ジンジャーと豆殻煎じコーヒー」も出ました。 (右上)アラビア海に面した港町アデンでの昼食。こちらも貿易港なので、料理も各国の影響を受けていってるそうだ。やはりカレー味中心で、シーフード入りピラフもある。盛り付け方が「おされ」でしょ? (左)双子都市のシバムでの昼食。景色のいいホテルの客間に靴を脱いであがります。奥に見える、黒い入れ物に入ったものが石鍋料理のサルタ。ホイップクリームの様なフワフワした緑っぽい代物。苦味が慣れると病みつきになる。 どこに行ってもナンやピラフが非常ーに美味で、これ食べたさにおかずのカレーやシチューもどきを何度もおかわりしていました。デザートは、殆どがバナナ。日本に入ってくるものより少々小さめ。 |
-参考資料- |
作成日:2003/11/09 最終更新日:2003/11/30 誤字訂正と説明文少々追加 Copyright(c)1997-2016 CAYHANE ELMA All right reserved. This website is written in Japanese(Shift_JIS). |